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祖父の話

私の祖父は、口数が少なく自身のことを話してくれることもあまりないので、真逆でおしゃべりな祖母や、代弁者でしっかり者の長女である私の母からエピソードを聞くことがほとんどである。

祖父母の出会いについて

中学卒業後、自衛隊に入隊し、戦車に乗れるよ!と言われ、かっけー乗りてーとノリで長崎から北海道へ来てしまった祖父。後に祖母と出会い結婚。

しかし夫婦になれたのに週末しか会えない生活、祖母がぽつりと「淋しいな…」とつぶやいた。祖父はきっとその場ではノーリアクションだったと思うが、翌日、仕事を辞めて帰ってきた。

その後の生活はしばらく苦しかったようで、祖母が私の旦那が仕事を辞めたときに、しつこくお金は大丈夫かと聞いてきていたのはこれが原因だったようだ。最初聞いたときはかっこいいと思ったけど、親になった今、バカかよという気持ちの方が大きくなってしまった。

生涯勉強

若くして自衛隊員になった祖父は、字を知らないのがコンプレックスで、よくテレビで見た漢字や気になる言葉を、雑紙を束ねたお手製チラ裏メモに書き連ねる。

躁鬱などごちゃごちゃした漢字から外来語もある。結局憶えていないので、おじいちゃん最近できたドーナツ屋さんの名前わかる?と聞いたら天を仰いでいた。

(A.クリスピークリームドーナツ)

バッグクロージャーと書いてあったときは、これなに?って聞いたらニヤニヤして教えてくれず、Google先生に聞いたらパンを止める水色のプラスチックのアイツの画像が出てきた。

ランチチャームと書いてあったときも同じ流れで調べたら少量の醤油を入れる魚型のアイツの画像が出てきた。

ロマンティックじーちゃん

昔、札幌にはビッグシップ→グルメシップという船の形をした建物の温泉商業施設があった。それを目印に目的地までドライブをした際、取り壊されているのを知らず迷ってしまったことがあった。

建物がなくなっていたことを祖父に伝えたら

「出航した」

と言っていた。寡黙ながらも脳内ではロマンティックな言葉をたくさん紡いでいるのかもしれない。無闇に話しかけようかな。

知られざる祖父プロフ

原爆が投下されたとき長崎にいた祖父は無事生きているので、漠然と大変だったけど大丈夫だったんだなーくらいに思っていたが、直前まで海辺で貝を拾って遊んでいて、切り上げていなかったら死んでいたという話をつい数年前に聞いた。

そう、自分からはマジで教えてくれないので、こんな大変なエピソードも大人になるまで聞かされずだったのだ。

あと、他人が作った料理を食べたがらないのは、寿司屋でトイレから戻って来た職人が手を洗わずににぎにぎしたのを見てから無理になったことも最近知った。

祖父の今とこれから

そんな祖父は今も実家でのんびりと、好きなつまみを手作りし、毎日晩酌している。母は「胃が悪いなんて信じられないね」と言う。

ステージ4の胃がん。

これからも好きなことをできるだけして、可能な限り生きていてほしい。でももし死んだら、淋しいな…って言ったら天国辞めて帰ってきてよね。

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