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新生月姫 2話

闇夜に響く協奏曲

会いたくないヤツがいる。
一生、この瞳に映したくないモノがいる。
そして、私は一生会えないヒトに想いを寄せる。
私の運命を変えた過去。
再び会えば、人生は修正されるのだろうか。
しかし、過去をやり直すことができないなら、私たちが交差することがない道を選びたい。

「っ!!?」
ダークは目を見開き、飛び起きた。
寝汗で湿った寝巻きと布団。カーテンの隙間から見える空を見れば、月が高くにある。時計を見て、まだ深夜だと悟ると、盛大な溜め息を吐いた。
昔から何度も見てきた悪夢。特にここ最近は、毎日のように見ていて、さすがにうんざりしてきている。
原因は何となくわかっていた。夢に出てくる少女、ナギサ=ルシードが聖界に帰ってきたというのを、耳にしたからだろう。
最後に彼女と会ったのは六年前。あの事件こそが、最後の別れだった。
彼女に怨まれているのも、当たり前の話なのだから。
返り血に染まったナギサが、血溜まりの中で、呪いの言葉を吐く夢を見続けることも納得だった。

「やっぱり、ここにいたのね」
墓の前で佇むナギサに、フウは声をかけた。
「姉貴?」
振り向いたナギサが答えるが、フウは一瞬ムスッとした顔をした。
「ちょっと、その“姉貴”って言うの、何とかならないのかしら?“お姉様”とか、何なら子供の時みたいに“お姉ちゃん”とかあるでしょ?」
フウの言い分は尤もでもあるが、記憶が戻ったばかりのナギサが戸惑った末に導き出した呼びかけでもあり、そのまま定着してしまったのも事実だ。
「そもそも、王女らしく」とお小言を始めそうなフウに、さらっと「姉貴の前でしか呼ばないから安心して」と言いのけるナギサも、随分とここの生活に慣れたようでもあった。
フウも諦めたのか、一つ息を吐いてから、話を変えた。
「それよりも、最近、暇があればここに来てるみたいじゃない」
「……失くしてしまいたい過去があるから、記憶喪失があると思うの。だから、記憶が戻れば、悲しいことも思い出す。そんなのわかっていたはずなのに……何で、記憶を取り戻したいって思ってしまうんだろう」
ナギサは独り言のように呟き、軽く溜め息をつくと、フウの目をしっかり見ながら言葉を紡いだ。
「……あのね、最近嫌な夢を見るの」
「嫌な夢?」
思わず、眉を顰めて聞き返すフウに、ナギサは小さく頷き、話を続けた。
「あの日の夢……なんだと思う。暗闇の中で、返り血に濡れた自分がいて、顔を上げると、魔王がこちらを見下ろしていて……」
そこまで言うと、ナギサは目に涙を溜めると、思わずフウの胸へと飛び込んだ。慌てて抱き留めるフウは、どこか困惑した表情を見せる。
「怖いのっ!再びこの地に降りてしまったことがっ!」
「ナギサ……。大丈夫よ。あの頃と違って、わたくしたちはもう子供じゃないもの。いざとなったら戦えるわ」
フウはそっとナギサの頭を撫でながら声をかけた。その姿は、子供時代に戻ったようでもあった。

二人の姫が城に帰ったと聞き、リナは慌ててナギサの元に駆け寄った。
「ナギサ様!!探していたのですよ!?すぐにお出かけの準備をっ!!」
普段から落ち着いているリナの慌てように、ナギサとフウはきょとんとし、顔を見合わせた。
「たっ、大神様からお呼びがかかりました。速やかに準備をし、神界に赴いてください」
「大神様が?」
ナギサが訝しげに答えると、隣でフウは「大神様、随分とナギサに肩入れしてるからね」と神妙な面持ちで言うが、その二人の会話を遮るように、リナが「早く早く!」とナギサの背を押していた。

支度を終え、慌ててやって来た神界。
その中央に聳える、大神殿を前に、ナギサは緊張したように仰ぎ見た。
大神が住まう場所。神界はもちろん、聖界にとって最大の聖域でもある大神殿。
ナギサは、帰還後すぐに訪れていたが、当時は訳も分からない状態だったため、今改めて見るとあまりの大きさ、そして厳かさに、思わず背筋がピンと伸びる。
ナギサが一歩足を踏み入れると、ナギサの姿を確認した侍女や神官たちが頭を下げる。当たり前の行為ではあるが、未だにナギサは馴染めずにいた。
とは言え、ナギサも不安な様子を見せることなく、あくまで気丈な態度で奥まで進んで行く。
大きい扉の前に衛兵と見られる人が左右に一人ずつ立っており、「ナギサ王女、お待ちしておりました」と声を掛けられる。ナギサは静かに頷いた。その姿を確認するなり、扉を重そうにゆっくりと開け放った。
開け放たれた部屋は広く、中央には大神がいる。
彼女はその長い黒髪を揺らすこともなく、ナギサを見た。
ナギサは数歩進むと両膝を着き、手を組んで軽く頭を垂れた。
「月王家第二王女、ナギサ=ルシード。ただ今、参じました」
「待っていました。頭を上げなさい」
「はい」
ナギサが立ち上がるのと同時に、再び扉を開かれ、二人の女性が入ってきた。
彼女たちはそのままナギサを通り過ぎ、大神の手前で立ち止まった。
「ナギサ、彼女たちは貴女の守護者よ。次期大神には精霊長と天使長の二人が、常時サポートすることになっているわ。今回、ナギサに冥王から招喚の知らせが入って、近々彼女たちの力が必要になると思うから、先に紹介しておきます」
大神がそう言って、二人に目配せをすると、うち一人が一歩前に出た。薄茶の髪は横にシャギーがかかっていたが、後ろ髪はウェーブがかかり、背中からは真っ白な翼を生やしていた。
「はじめまして。天使長を務めさせていただいている、クエレと申します。よろしくお願い致します」
彼女は深々と一礼をしたが、隣にいたもう一人が思わずツッコんだ。
「クエㇾったら、相変わらず固いなぁ。はじめまして!あたし、精霊長のヴィルジェだよ。これからよろしくね!」
もう一人は、横髪が長くウェーブが掛かっていたが、後ろ髪は肩ぐらいまでしかないストレートで、体の周りにはオーラみたいなのが纏っていた。
「あなたは緩すぎます!ナギサ様は、私たちの主になるのですよ」
「主だけど、信頼関係も大事でしょ?あたしは、ナギサと友達になりたいんだもーん」
どうやら二人の性格は真逆らしく、再び言い争いを始めた。その様子に、ナギサがぽかんとしていると、大神はふと溜め息を吐いた。
「二人共、いい加減になさい。下がって構いません。今日は、紹介だけなのだから」
大神の言葉に、クエㇾは申し訳なさそうに、ヴィルジェは不満そうに返事をすると、部屋を後にした。あの様子だと、廊下でも言い争いをしていそうではあるが。
大神は、場を一度改めるように咳払いをすると、再び口を開いた。
「さて、ナギサ。先程話した通り、冥界から貴女に参じるようにと連絡が入りました。わたくしとしては、あまり行ってほしくはないのだけど……さすがに、冥界を敵に回す訳にはいかないものね。もちろん、一人では行かせないから安心してちょうだい。あなた」
大神は振り返り、返事を求ると、穏やかな笑みを浮かべた男性がやって来た。
彼、副神・カイト=ルシードは、大神・ルゥの夫であり、側近でもある。ナギサが帰還してすぐに一度挨拶をしただけの人物ではあるが、威厳そのものでもあるルゥに対し、柔和で平穏そのものと言った感じであり、ナギサにとっても比較的相談しやすそうな人物でもあった。
彼は、大神から書類の束を受け取ると、ナギサの前に立った。
「彼が貴女を冥界へと連れて行くわ。じゃあ、頼んだわよ」
「うん、じゃあ、行こうか」
その言葉にナギサは「はい」と穏やかに返した。

「あの……副神様」
聖界から冥界へ向かう最中、ナギサは隣にいる副神に、突然声をかけた。
「うん?どうかした?」
副神は穏やかな笑みを浮かべなら問うと、ナギサは難しそうな表情をしながら口を開いた。
「冥王って確か……三大王の一人ですよね?」
「うん、そうだね。三大王の中でも、最も権力を握る人物だけどね」
副神の言葉に、ナギサは目を見開いた。
帰還してから、こっちの世界のことをいろいろと勉強はしているが、冥王が三大王の中でも権力があるのは、知らなかったからだ。
「え?そうなんですか?」
「うん。冥界を守護する“封印の神”は、光と闇を調和し、生と死を司るのは知っているね?」
「はい。封印の神は、その生まれも特殊で、選ばれた人が死後蘇って“神”としての力を得る、とかでしたよね?」
「うん。普通の“神”とは違うから、冥界の守護神でもあるのだけれど……。“三大王”の条件はわかるかな?」
「条件?えっと……それぞれを担う“三大神”と契約することですよね?今の話で言うと、冥王は封印の神と契約していることになるわ」
「そもそも、冥界は民主制だから、冥王も一応選挙で決まるけど、候補者になるための条件が封印の神と契約をしている、または今後できる可能性がある、ということになっている」
ナギサはそこで考え込むと、ハッとした。
「あ、そっか!“光”と“闇”の調和をできる“封印の神”と契約しているから、三大王の中でも強い権力を持っているのね!」
「ご名答。“大神”は“光の神”と、“魔王”は“闇の神”と契約しているから、必然的にそういう形になるんだ。とは言え、実のところは誰が偉いとかはないんだけどね。力の特性を考えると、そういうことになっちゃうんだよね」
「でも、そういうことなら、大神様もご一緒の方が良かったのでは?」
ナギサのその問いに、大神の夫である副神は困ったように苦笑いを零した。
「うーん、言いたいことはわかるんだけど……ルゥは、その“冥王”の特性さえ気に入らないし、それに聖界者以外は興味ないから、基本聖界からは出ないよ」
自分のところの統治者、ましてや神々の王という立場でありながら、ちょっと峻烈な性格に、ナギサは思わず絶句してしまった。
その様子に気付いたのか、副神も頭を抱えつつ、話を続けた。
「それに……今の冥王は若いし。と言うか、若すぎるし。だから、余計に信用してないんだよね」
「そんなに若いんですか?」
「あれ?言ってなかったっけ?ナギサの一つ上だよ」
その言葉に、ナギサはぎょっとしたように声を荒げた。
「え!?若すぎじゃないですか!?」
「そうなんだよね。成人前だからまだ子供だなって思う時もあるし、隣に有能な補佐官もいるけど、実力は確かだと思うよ。彼の将来が楽しみだとは思うけどね」
副神はそう言うと、ふふっと笑って見せた。

冥界に着き、副神は勝手知ったる場所と言わんばかりに先を歩き、ナギサはその後を追いながらキョロキョロとしていた。
石造りがメインの聖界と違い、ナギサが学生として過ごした“地球”に近い、現代的な建物で、思わず感動してしまった。
「お待ちしておりました、カイト様。……そちらの方がナギサ様でいらっしゃいますか?」
冥殿と呼ばれる、冥王の居城であり、政治の中心でもある場所で、待ち構えていた男に声を掛けられた。
目の前には、濃灰色の髪の男が、凛とした姿で立っていた。
「ああ、冥王に呼ばれたからね。挨拶に連れてきた。ナギサ=ルシードだ」
副神はそう言うと、一歩後ろにいたナギサの背を押した。それに合わせて、ナギサは一礼した。
「月王家第二王女、ナギサ=ルシードです」
「お待ちしておりました、ナギサ様。私は、冥王補佐官を務めております、カイ=スールと申します」
彼は深々と礼をした。その洗練された動きを見て、ナギサは「さっき、副神様が言った、有能な補佐官って彼のことね」と思い出した。
「では、リキ様がお待ちです。どうぞ」
カイが先導するように前を歩き、ナギサたちはその後ろをゆっくり歩いた。

カイが辿り着いた先は、謁見室だった。
カイは軽く扉を叩き、「リキ様、失礼致します」と声を掛けると、その重そうな扉を開け放った。
副神は何事もないように入って行くが、ナギサは恐る恐る足を踏み入れた。
高い天井が開放感を生み出し、真っ赤の絨毯が玉座へと真っ直ぐ続く。その玉座に身を任せるのは、ナギサとそう年の変わらない少年。
銀のストレートヘアを胸のあたりまで伸ばし、髪と同じ色の瞳を二人に向けた。
「やっぱり大神じゃなくて、副神が来たんだな」
彼がそう呟くと、副神は「申し訳ない」と苦笑いを零したが、いつものことなのか誰も気にしていないようではあった。
彼はそのままナギサへと視線を移す。
「それで、その横にいるのが、次期大神・ナギサ=ルシードか?」
「ええ。あなたからの召致で、連れてきた。ナギサ、挨拶を」
副神に促され、ナギサはハッとしたように、口を開いた瞬間、後ろの扉が開かれた。
突然のことで驚いたナギサは、挨拶をする前に振り向いてしまった。
そこには、漆黒の髪に、血のように紅い瞳。髪と同色の服を纏った、長身の男が立っていた。
“紅い瞳”に、ナギサは記憶を失うきっかけになった過去が、一気に脳内を駆け巡った。だって、“紅い瞳”を持つのは、“彼”だけなのだから。
ナギサは驚きと、怒りと、恐怖と、全ての負の感情を表すように、彼から視線が外せなかった。
一方、男もナギサから目を離さず、じっと見つめ返した。
ナギサは、二度と口にしたくない単語を発した。
「……魔王……?」
それが、彼女の目の前にいる人物、魔王・ルシフ=ルベラ。その人である。
「……ナギサ」
彼もまた、思わぬ再会に驚きを隠せないようであった。
しかし、ナギサはすぐにぐっと奥歯を噛み締めた。
「っ!!あなた如きが、気安く私の名前を呼ばないで!!」
ナギサのその罵声に、その場にいた人間が目を丸くしたが、お構いなしにナギサはさらに続けた。
「あなたのっ……あなたのその血に濡れた存在を、私に見せないで!!」
ナギサは今まで見せたことの無いような、憎しみでいっぱいの表情で魔王を睨み、叫ぶと、逃げるようにその場から走り去った。
「ナギサ!!」
副神が慌てて叫ぶが、彼の手をすり抜けるように去って行ったナギサには一歩届かず、その叫びは空を切る。
「ナギサ……」
魔王が思わずぽつりと呟くが、彼も驚いたのか固まっていた。
「あれから六年経つとは言え、ナギサ自身の記憶も感情も、あれから一歩も前進していないんだ……。突然の罵声は、彼女にとっても王女としての落ち度になるから、私も後で制しておくが……理解だけはしてほしい」
副神が魔王に声をかけ、魔王はやっと副神に視線を向けると、ゆっくりと首を振った。
「いや……あれだけのことをしたのだから、私に非があるのは尤もだ。彼女は悪くないので、気に病まないでくれ」
魔王は副神に頭を下げたが、副神も困ったような表情を浮かべる。
その様子をじっと見ていた冥王が口を開いた。
「ナギサはこちらで探そう。とりあえず、二人は休んでてくれ。カイ」
冥王が二人を労わるように言うと、すぐに後ろに控えていたカイに指示を出した。

ナギサは無我夢中で走っていた。
ここがどこかなんて、どこへ行こうかなんて、そんなことさえもわからない。
ただただ、あの場から逃げたかった。
怖くて仕方がなかった。記憶を取り戻したことで蘇った、あの時の悲劇も。魔王と会うことで思い出す、父との悲しい記憶も。
「ここ、どこ……?」
やっと正気に戻ったナギサは、足を止めた。目の前に広がるのは暗い森で、前後左右全て同じような景色で、やってしまったと言わんばかりに頭を抱えてしまった。
初めての場所で、後先考えずに走れば迷子になるのはわかりきっていたのだが、冷静になった今は魔王に会いたくないとは言え、帰宅することを選ぶしかない。
帰路はわからないが、とりあえず来た道を戻るしかない、とナギサが歩き始めたが、ふと不気味な音が過ぎった。
ナギサはぴたりと足を止め、音のする方を凝視した。音は徐々に近づいて来る。
やがて見えた輪郭は、人ではなく四足の獣で、ナギサは冷や汗を流した。
相当お腹を空かせているようで、ナギサを見つけるなり、唸り声を上げながら飛びかかった。
本来なら、大したことない相手ではあるのだが、帰還したばかりで実戦などしたことのないナギサにとっては、キツイ相手であるのは確かだった。
避けるので精一杯で、ナギサはタイミングを見計らって逃げようとしたが、慌てすぎてスカートの裾を踏み、そのまま躓いた。獣がそれを逃すわけもなく、再び飛びかかって来る。
強い衝撃に耐えようと目を強く瞑ったが、痛みが来る前に、大きな銃声が響いた。
ナギサが恐る恐る目を開けば、獣は無残な姿で血に塗れ、息絶えていた。

冥王からの命令で、ダークは父親と一緒に冥界に来ていた。
「冥王が自分を呼んでる?」と思ったが、ナギサも呼ばれていると聞き、これから次期三大王の特殊任務が始まるということを察し、思わず抜け出してしまった。
面倒臭いというのもあるが、最近の夢のせいで寝不足気味だった。何より、ナギサに会う可能性が高く、あの夢を思い出すとあまり会いたくないのも事実ではある。
そのため、ダークはそっと抜け出し、森の中で暇潰しをしていた。
“死の森”と呼ばれるここは、冥殿の近くにある森で、冥界にとっては神域であると同時に、不法地帯でもあった。冥殿は一般居住区と離して作られており、“封印の神”の神域が存在する死の森の近くに作られていた。一方で、獣や魔物たちも多く棲み、鬱蒼と茂っていることから不届き者が隠れていることも多く、故に、近くに冥殿があることで睨みを利かせているともいえる。
そのため、ダークは他に行く場所がなく、仕方なくここにいるわけだが。決して、心休まる場所ではない。
することもないまま歩いていると、突然空気が変わった。ざわざわとした空気を辿るように、しかし何かに急かされるように走ると、一人の少女が獣に襲われそうになっていた。
「っ!!?……ナギサ?」
驚きのあまり、ダークはぽそりと呟いた。襲われそうになっている少女の姿に目を奪われた。
ダークブラウンの髪に、赤みがかった茶の瞳。特徴は夢に出てくる少女と一致する。唯一の違いは、背格好なのだが、最後に会ったのが六年前であり、違うのは当たり前である。
彼女の服装は、聖界者がよく着るようなワンピースではあったが、遠目で見てもわかるほど質が良いもので、益々彼女が“ナギサ”であると物語る。
ダークは慌てて、腰から下げていたホルスターへと手を伸ばし、銃口を獣に向けた。
「彼女を助けなければ!」という気持ちが先行し、体が勝手に動いていた。
弾丸は獣に当たり、ナギサが襲われる寸前で、何とか仕留めることができた。
ダークはやや重い足取りでナギサの元へ向かうと、声をかけた。
「……大丈夫か?」
その言葉に、ナギサはやや青い顔でダークへと視線を向けた。
ナギサは、目の前の男が手にした銃を見て、助けてくれたのだと理解したが、思わず声を呑んでしまった。
彼もまた、黒髪に黒衣だったのだから。唯一違うのは、瞳の色だろうか。血を連想させるような紅い目ではなく、綺麗なアメジスト色の瞳に、ナギサは見入ってしまった。
「どこか怪我でもしたか?」
全く返事をしないナギサを心配したように、ダークの表情はだんだん曇る。
その言葉にナギサはやっとハッとした。
いくら魔王に似ているからと、人を見た目で判断するのは失礼だろう、と首を振る。
「へ、平気です!助けていただいて、ありがとう……っ!」
ナギサは慌てて礼を言うと、立ち上がろうとし、思わず声にならない息を吐いた。
右足に鈍い痛みが走り、ナギサは再びその場に座り込んでしまった。
「どこか痛むか?」
その様子を見て、ダークは問いかけながら自分もナギサの前で膝をつく。
「ご、ごめんなさい。足が……」
「すまない。触るぞ」
ダークは一言謝ると、赤く腫れた右の足首を触る。
「たぶん、捻挫だと思う。とりあえず、応急処置だけするから、後でちゃんと診てもらってくれ」
そう言って、ダークはハンカチを取り出し、腫れている箇所へと巻きつけ、足首を固定する。
「あ、ありがとう。その……助けてもらっただけじゃなくて、応急処置までしてくれて。本当に助かったわ」
ナギサは挙動不審になりながらも、小さく笑みを浮かべながら礼を述べた。
その笑みにダークは一瞬、口を開いたがすぐに噤み、困ったように視線を逸らした。
その様子を不思議に思って、ナギサが口を開いたが、それより早くに第三者の声が響いた。
「ナギサ様!ご無事ですか?」
駆け寄って来るカイに、ナギサとダークはハッとしたように見たが、カイもふとダークを見るとゆっくりと頭を下げた。
「ダーク様もこちらにおられたのですね。ルシフ様が探していましたよ。そして、お二人をリキ様がお呼びです」
カイがさらりと言い放った言葉に、ナギサはぎょっとしたようにダークを見た。
「ダーク……?」
その名には聞き覚えがあった。
ダーク=ルベラ。魔王、ルシフの息子。云わば、魔界の王子だ。
それなら、一瞬魔王に似ていると思ってしまったのも合点がいく。
「……ナギサ」
一方で、ダークもゆっくりとナギサに視線を合わせた。
予想通り、彼女がナギサだったのだから。
思わず二人は視線を合わせたまま固まるが、ナギサはぐっと奥歯を噛み締めた。
ダークとは幼い頃に何度か会っているが、あの魔王の息子。そこまで恨んでいないとは言え、あの時ダークもあの現場にいて、一部始終を知っている人間だ。ナギサにとっては、決して良い間柄とは言いにくい。
弱みを見せまいと何事もなく立ち上がろうとして、未だに痛む足に思わずよろめいてしまった。
側にいたダークがさっとナギサを受け止めたが、ナギサは驚いたようにダークの顔を見た。
「あ……大丈夫だから放してちょうだい!」
そうは言うが、ダークの腕を掴んでいる状態で何とか立てているので、振り解くことはできない。
ダークは何か言おうとしたが、すぐに口を噤むとカイへと振り向いた。
「カイ、悪い。代わってくれ。ナギサ、足を怪我してるんだ。応急処置はしたけど、歩くのは無理だと思う」
ダークがそう言うと、カイは慌ててナギサへと駆け寄り、「大丈夫ですか?」とナギサに声を掛けつつ、そのまま横抱きにした。
「えっ!?ちょっ!?か、カイさんっ!?」
突然のお姫様抱っこに驚きすぎて、ナギサが上擦った声を上げるが、カイは冷静に「カイで構いません」と答えた。
そういうことを言っているのではないのだが、と言わんばかりに、口をはくはくと動かすだけのナギサに、カイは抱きかかえたまま何事もなく続けた。
「嫌かもしれませんが、我慢して下さい。では、行きましょうか。リキ様はもちろん、ルシフ様もカイト様もお待ちです」
そう言ってすたすたと平然と歩くカイの後ろをダークは歩きつつ、小さく溜め息を吐いてしまった。

結局、カイに抱えられて冥殿に戻ってきたナギサは、あまりの恥ずかしさに顔を隠した。
副神は慌てて治癒魔法をかけて足を治すと、叱るように口を開いた。
「急に飛び出すから、心配したんだよ?」
「ごめんなさい……」
しゅんとしたように謝るナギサに、副神は苦笑いを零すとナギサの頭を撫でた。
「でも、無事で何より。軽い捻挫で済んだみたいだし」
そう言うと、副神は部屋の隅で立っていたダークへと赴き、頭を下げた。
「応急処置をしてくれて、とても助かった。迷惑をかけてしまって申し訳ない。保護者として謝罪する」
その様子に、ダーク自身がぎょっとして、慌ててぶんぶんと首を振った。
「い、いやっ、気にしないでくれ。ほんと、最低限しかしてないし」
「ほんと、ダークって良い奴だよな!」
ダークが副神に返事をしているのに、冥王がへらへら笑いながらダークの肩を掴んだ。
「リキ様!お行儀が悪いですよ!」
カイが思わず声を荒げるが、冥王はそのままダークから離れ、ナギサの側までやって来て、人懐こそうな笑みを浮かべた。
「さっき、ちゃんと挨拶できなかったよな?俺は冥王、リキ=シャ=スールだ。ナギサと一つしか歳変わらないから、仲良くしてほしいな」
あまりのフレンドリーさに、ナギサはきょとんとして、「ええ。よろしく」としか答えられなかったが、そんなのお構いなしに冥王は話を続ける。
「ダークはナギサと挨拶したんだよな?じゃあ、とりあえず今日はここで一旦終了かな。これから顔を合わせること増えると思うから、ナギサも少しずついいから慣れていこうな?」
そう言われ、ナギサは言っている意味がわからず、返事すらできない。その間に、リキはさくっと話を進めると、解散になっていた。
結局、何が何だか意味のわからないままになってしまったが、何かが始まる予感だけがナギサの胸に残った。

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