見出し画像

「怒られ」は、はじまりである。 | 『怒られの作法』/草下シンヤ

決してタイトルに騙されてはいけない。これは”作法”について教えてくれる類の本ではなく、生きる姿勢や精神性について語られた本である。「怒られ」という、できることなら避けて通りたい事象を通して、他者とどのような関係を築きたいかを読者自身が問うきっかけになる、またそういった内省が促されるような本。

「怒られ」とそこから起こる展開は、相手との関係構築につながる協同作業である。

本書の主旨を、このように受け取った。これは「怒られ」という事象に対する見方が180度変わる、鮮烈かつ説得力のある指摘。

いわば、「怒られる」という一方的に押し付けられる絶望から、「関係が深まる」という希望への転換。

筆者の言う”協同作業”を通して、怒られる側の怒る側に対しての理解(他者理解)が深まり、同時に怒る側が自身に対しての理解(自己理解)を深める。また、怒られる側が怒る側の怒りの背景を紐解くプロセス(質問・質問の仕方・リアクション)を通して、怒る側の怒られる側に対する理解にもつながる。結果的には相互理解を深めるきっかけとなりえるのが、「怒られ」である。

相互理解を深める協同作業であるからこそ、自分に誠実であること(自分をだまさないこと)、他者をコントロールしようとしないこと、この2点が欠かせない。

この主張も、自分自身の過去の経験に照らし合わせてみても、とても納得感がある。

しかも、このことが著者のエクストリームな経験(裏社会を取材する作家)を例に語られていることから、説教臭くならず、ユーモアを伴ってすっと入ってくる。エンターテイメント性と気づきが混合された、稀な本。

コミュニケーションのノウハウやコツの伝授を試みる本を読むのあれば、この本を手に取る方がよほど本質的な示唆が得られるかもしれない。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?