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「作品」が良いのか、「作者」が良いのか、どちらもまとめて愛せるのか、否か。

 芸能人・アーティストが何か騒動を起こした際
「好きだったのに」「曲を聴くのをやめた」と
ガッカリする声をSNS上でチラチラと見る。

 「プライベートにまで干渉して自らの妄想を課すなよ」と言ってしまえばそれまでであるが、
この現象、かなり現代的な価値観から発生しているのではないだろうかと興味を持った。

問題提起:「好き」はどこから来るのか

 映像、音楽、絵画、彫刻、詩歌、小説…
我々の身の回りには「作品」と呼ばれるものが溢れており、それらが生活を満たしてくれている。

 「好きな映画は?」という質問から会話が膨らむように、作品の趣向は個人のパーソナリティを把握するための指標になる。

 では、そんなとき、作品に対する我々の「好き」という感情は、作品だけに向けられたものなのだろうか。そうだとしたら、本当に作品だけを好きと言い切れるか。

 はたまた、作者の姿も含めた感情だろうか。
その場合、作者なくしてはその作品を愛せなくなってしまうのだろうか。

 SNSが流行した現代において、特に音楽の面でこの切り分けが難しくなってきているように感じたので、今回は「音楽作品」を対象にあれこれと考えてみる。

結論①:切り分けは可能("ミーハー"の場合)

 いきなり結論であるが、作品を好きになるときに作者ごと好きになる必要はないし、「作品が好き=作者が好き」ともならない。

 簡単な話であるが、色々な作品を広く浅く、つまみ食い的に摂取している人は作者のパーソナリティに依存しない。

 流行の曲ばかり聴く人間が一定数いると思う。
YOASOBIの「アイドル」、米津玄師の「KICK BACK」だけ聴く、いわゆる"ミーハー"だ。

 "ミーハー"の方々は、流行している曲の中から自分の気に入ったものを聴いているまでなので、制作者をそこまで意識していない。

 ミーハーであることが疎まれる風潮は否定できない。
「全作品を聴け」
「バックボーンを理解しろ」
思い入れの強い人の気持ちも十分理解できる。
しかし、後段の話を受けると、どちらが幸せなのか分からなくなってくる。

結論②:切り分けは不可能("ファン"の場合)

 こちらもいきなり結論である。
"ミーハー"以上に肩入れをしている作品の場合、
大なり小なり作者の姿を追ってしまっている。

 一過性の流行ではなく、特定の作者の作品を享受し、その変遷を追いかけている方々。
先の"ミーハー"と対置するべく、これらの享受者のことを"ファン"と呼ぶ。

 「大なり小なり」というのが最重要点で、
この度合いの違いで"ファン"と"信者"に分かれると思っている。

 そもそも、"ファン"であるとはどのような状態であろうか。
例えば、歌詞が好き、声が好き、曲調が好き、生きざまが好き、見た目が好き…など、何かしらの理由から一アーティストを他よりも肩入れして好んでいる状態であろうか。

ファン(fan)
スポーツや芸能、また選手・チーム・芸能人などの、熱心な支持者や愛好者。ひいき。

コトバンク

 定義を参照しても、大体そんな感じのことが書かれている。

 「熱心な」というワードが気になった。
"ファン"であるとき、人は作品を通して作者の影を熱心に追っている。
そして徐々に、作品へ向いていた熱意がベクトルを変えて作者の像にダイレクトに向かい始める。
これが"ファン"から"信者"への遷移ではないだろうか。

 "信者"であること自体に善も悪もないのだが、信者は次第に自ら作り上げた作者の理想像を本人に課し始める。これが良くない。
冒頭でも触れた「ガッカリ現象」である。

総論:現代の持病「幻想の拡張」

 さて、総論だ。
現代、SNSにおいて個々人の「声」が一瞬で広がるようになってしまっているため、"ファン"から"信者"への遷移速度が早まり、かつ、理想像の構築力が強まっているように感じる。

 今や芸能人はゴシップ一発で信頼を失う世界となってしまっている。私から見ると、芸能人の方々は、皆が作り上げた理想像を壊さないよう綱渡りをしている危うい存在のように思える。

 この現状自体が「作品は作者と切り分けられるか」という命題にNoを突きつけている。

 TV番組「トークィーンズ」で、芸人のハリウッドザコシショウが車を買わない理由を聞かれた際にこう答えていた。

 「車は買わない。ふとした事で不注意があるじゃないですか。それを無くしたいんですよ。ずっとお笑い芸人をやっていたいから。学生の時からお笑い芸人をやろうと思っていて、やっとなれたんですよ。絶対に手放したくないよ」


 現代の芸能人の鑑かと思ったが、一方で、芸能人にこのような考えを強制してしまうのも考えものだと思えた。

 こちらが勝手に好いているだけなのだから、相手に期待を押し付けてはならない。
作者はアナタ個人のために生きているわけではないのだから。

 かくいう私も、特定の芸能人・アーティストに強い思い入れを抱いてしまっている側面がある。
なので、この文章は自戒でもある。

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