インド夜想曲

アントニオ・ダブッキ作 須賀敦子訳 白水社

ネタバレ含みます。


破茶滅茶に面白い。読了した時の放心。

 最終章を読み進めていくと「してやられた」感。読書をするにあたって、ストーリーを求めてしまう読者の意表をつくめちゃくちゃに面白い作品だった。「主人公の友人を探す旅」とのコンテクストの中で、終わりにはこの謎めいた旅について、つまりなぜ友人が失踪したのか、友人と主人公の関係は?、作中の人々は友人とどんな関係を持つのか、そもそもどうして主人公は友人を探し始めたのか?…挙げていけばキリがない問いに、到達することが前提のようになって読み進めていく読者がいる。 しかしこの本により、いかに読者が本文を自分本位の文脈で捉えるものかが明確に示された。きっと作者は最終章の読者の顔を思い描いては満足しているだろう。しかしこの物語が後味悪くなく、むしろ爽快で良い読了感をもたらすのは、主人公の旅するインドが主人公の「友人を探す」という(われわれの暗黙の了解ともなっていた)前提で、インドが語られていくという魅力があるからだ。物語の中で位置付けられる主人公目線を追う読者は、読者自身が主人公に重ねられてその動きを追うことができる。つまり主人公と同化しながらインドを感じることができる。インドの神秘的、現実的な情緒を、実際に「物語のキーパーソン」(と、我々が思い込んでいる)を通じて感じることの可笑しさ。面白いのは、普通の物語は「人生」(ストーリー展開)が先にあり、その「人生」のための要素として「人との交流」や「独白」、「過去」があるのだが、このインド夜想曲は全く別の(逆の?)構成を持っているところだ。つまり、「インド」を描くために、「(インドを表す)人との交流」「(インドを感じさせるための)独白」「(インドに面白さを加える)過去」があり、その後にそれを成立させるためにストーリーが読者に委ねられている。こんな発想誰が出来ただろうか。驚愕の作品である。

 描写の美しさは言うまでもないことをここに加えておく。

メモ

夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。彼らは何をするのか。夜を現存させているのだ。(モリス・ブランジョ)
これは、不眠の本であるだけでなく、旅の本である。不眠はこの本を書いた人間に属し、旅行は旅をした人間に属している。                                (インド夜想曲 はじめに)



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