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複雑な関係は生きている人を死人に変える

いわゆる典型的な美形(?)ではない個性的な新人のタレントさんがテレビに出るようになって、最初違和感があるんだけど、だんだん違和感がなくなってくる時があるじゃないですか?あれって昔はそのタレントさんが人に見られることでだんだん洗練されていっているのかなぁ?って思ってたんだけど、多分違うんですね。

こちら側が見慣れるんですね。

単純に見慣れて馴染んでくると、垢抜けたというような印象を持つんじゃないかしら?

見慣れただけなのに『あいつは最近垢抜けて板についた』などと思っていたならば、随分身勝手なものです。
こっちが勝手に見慣れただけだっつーの。
ってワタシは一体何に怒っているのでしょうか?

まぁ、確かに演者の緊張感がなくなることで、いわゆる『板につく』というのは往々にしてあるものだとは思いますが。

見ている人を緊張させない余裕のある振る舞いこそがスターへの第一歩です。

スターを夢見ている人がいらっしゃいましたら
・露出が多ければ人は勝手に見慣れて勝手に垢抜けたと思ってくれるので、自分の容姿よりも大切なのは露出!
・いくら露出が増えたとしても、緊張感のある佇まいだと見ている側も緊張が伝わって受け入れてくれませんので、大切なのは余裕のある立ち振る舞い!
ということを心に留めておいた方がよろしいかと。

スターを誕生させたことはありませんが。

今、学童というのかな?待機児童のボランティア??みたいなものというのかな?そういうのにたまに行っているんです。んで、小学生の低学年の子たちと遊んでいるんです。
当たり前だけどボクもかつては子どもで、小学校の時の自分の記憶がないわけではないけど、当然客観的な詳細、、みたいなことは全く覚えてないからなんとも言えないけど、まー、子どもって天真爛漫ですな。

よく言えば天真爛漫。
別の言い方をすれば、天邪鬼でいろんなことをすぐ忘れて自由です。

そして、彼ら彼女らのこれからの人生の長さを考えると、なんだかよくわからないけど、気が遠くなるくらい果てしなくなげーな・・・と思うわけです。大変かもしれないけど頑張ってくれたまへとしかおじさんは言えないです。

子どもたちと触れ合って気づいたことは、昔に比べて喧嘩とか揉め事が少ないんじゃないか?ということです。
といってもボクの子ども時代は40年も前のことなので曖昧ではありますが、なんとなく昔はというか、これはひょっとしたら都会と田舎の違いなのかもしれないけど、ボクの子どものころは教室で遊ぶにしてもドッヂボールをするにしても、なんかあったらすぐに揉め事になっていたような。

今の子どもたちも喧嘩だったり揉め事だったりは多少はあるんだけど、基本的に平和だなぁと思ったりします。

んで、もしそういうことがあったとしても、そのあとにみんなちゃんと謝り合っているのね。

教師というか職員(?)の人に促されて謝る場合もあれば、結構な確率で率先して自分から謝りに行く子も多くて、どっちが悪いということじゃない場合でもお互い向かいあって
「ごめんなさい」
ってちゃんと言い合ったりして。
別に見ていて仲が良い友達同士ではない場合でもね。

あーいうのってもっと幼少の頃の教育だったり、その家の教育だったりするのかな?
自分のことを思い返すと、そういう教育をされたのかもしれないし、されていないのかもしれないし、今となってはよくわからないけど、ただ非があったことを認めて謝ったり謝られたりして仲直りするという行為は、相手がそんなに仲の良い人ではなかったとしても気分の良いものだった気がしますね。

あれは何だったのだろうか。
先生や親に言われたことをきっちり守って仲直りをすることで先生や親に褒められるのが嬉しくて良い気分になっていたのか?
それとも、非を認め合って謝り合って仲直りすることによる融和なムードが気分を癒やしてくれて、何かしらの脳内ドーパミンが出て気分がよかったのか?

もし後者なのであれば、それはそれで面白い。

自我が発達してプライド高くなったり、謝ることで利害が生まれたりするようになると、シンプルに仲直りすることも少なくなったりしてそんな原始的な気持ち良さもなくなってしまうのだろうか?

「実はさ、嫁と離婚するんだよね」
と友達に聞かされたのはこないだのこと。
「もうずっと喧嘩ばっかりでさ、話し合っても折り合いがつかなくて。もうダメでしたわ」
「ふーん、そっか。子どもはどうするの?」
「向こうは地元に帰って、子どもは連れて行くみたい」
「ま、離婚は仕方ないけど、子どもが寂しがるなら会いに行ってあげればいいんじゃない?」
「いや、それ無理なんす」
「面会できないの?」
「面会できないというか、、、子どもにはボクが死んだってことになっているので!」
「え???」
「嫁に離婚するなら、死んだことにして子どもにも会えないようにするって言われたんすよね・・・」
「でも生きてるよね?」
「そうなんす、ボクは生きてるんです。でも子どものみがその事実を知らずに生きていくんです」

うーん、いろいろ複雑っす。

子どもの頃のようにシンプルに仲直りできるのは、人生で一瞬だけなのかもしれませんなぁ。

写真:高松にある高柳食堂

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