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本当の心の余裕

かなり前に歳を重ねると眠れなくなる、2度寝できなくなるから早起き&色々経験すると心配症になりがち→準備が早くなるみたいなことを書きました。

いま、ボクは新幹線のホームでこの文章を書いています。
サタグバツアーの大阪行きの新幹線が来るまであと1時間!
色々心配が重なり1時間も前に東京駅に着いてしまいました。

新幹線に乗るまでに在来線が遅れるかもしれない。
途中で忘れ物に気づくかもしれない。
暴徒に出くわして逃げ回るかもしれない。
腹痛になってトイレを探しまくるかもしれない。

そんな『かもしれない』の連続が早め早めの行動となり、
1時間早く着いた新幹線のホームで、することがなくてコラムを書いているのです。
寒空のホームのベンチです。
よく考えたら何をやっているんでしょうか。

これとて、メルマガの更新日に間に合わない『かもしれない』という行動のひとつなのでしょう。

最近はこの『かもしれない』がどんどんエスカレートしてきて、
映像系の仕事の納品が間に合わないかもしれないから今のうちに編集をやっておこうとか、思わぬトラブルがあるかもしれないからあの書類を早めに作っておこうかとか、とかく前倒しがちです。

先日、ボクの麻雀を後ろから見ていた友達が言いました
「危険牌の放出と安全牌の確保が早すぎる」と。
振り込む『かもしれない』からの乞食麻雀。

病に備えてがん保険。
そんなCMをみるとドキドキしてきて自分の保険を見直したくなります。

かの池波正太郎先生は3月に翌年の年賀状を書き終えていたそうで、、。
『かもしれない』の大先輩?

なんだか、こう書いていると『かもしれない』は良いことなのかもか?って思えてきますが、実際はどうなのでしょう?

ツアーの前々日から忘れ物はないか?と準備を始め、何度も指差し確認。
かと言って忘れ物をしないわけではない上に、
早く準備しすぎてどこに何を入れていたのかを忘れていたり。
早めに納品をし過ぎたために内容が雑になっていたり。
麻雀でいうと『かもしれない』で守り過ぎるより、
状況に応じて牌を選んだほうが勝てたり。

なんでも保険屋さんが実は自分の保険には一切入っていない、みたいな話も聞いた事があります。

行き過ぎた『かもしれない』
それは気づかぬうちに本質を見落とすこと。
さらに失敗してはいけないというプライドがこの『かもしれない』に参戦してくるとさらに厄介です。失敗する人間に思われたくないとか・・・。

大切なことは一番の目的に沿うことです。
それは良いライブをするであったり、良い作品を納品するであったり、仲間と楽しく麻雀をすることであったり、今をよりよく生きるであったり。

一見一聴すると心に余裕があるように思える『かもしれない』行動、実はその逆なんじゃないか、と。
多少遅れても、多少振り込んでも、多少怪我をしても、まあええわ、、、本質が良ければくらいのほうが心に余裕があっておおらかでゆとりがあります。

一度心配症になるとなかなか逃れられませんが、良い落とし所を見つけたいものですな。
(自戒の意味を込めて)

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