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ドリフターズ人気投票のニュースから鑑みるこの先の世界

Yahoo!ニュースでドリフターズのメンバーの人気ランキングというのをやってました。

くだらん!

実にくだらんですな。

そもそもランキングというものに意味はあるのでしょうか?

例えば、スポーツのランキングとかマグロの漁獲量とか
実用的なものはアリなのかもしれないけど(それとて、時としてどうなんでしょうかと思いますが)、人気ランキングとか売上ランキングみたいなものは実に無意味なんじゃないかしら。

こういうランキングがあるために
いろいろなことが画一化されていく部分も多分にあると思うんです。
そういう情報や指標を欲しがる人と欲しがるんだから発表するという人がキャッチボールをし続けて商売が成り立っている人たちがいる限り、なくならんのでしょうが。

LGBTQをはじめ、いろいろな個性や主義主張を認めていきましょうという社会に向かおうとしているにも関わらず。

価値観の画一化・・・。

何事にも捉われず、認め合える社会になるというのは素晴らしい。
人類が踏んできた悪しき轍を埋めて、お互いが認めあえる社会になれば良いですね。

みんなが気兼ねなくなんでも語り合えて、
自分の意見を言えて相手を尊重する、、そんなことが実現すれば地球は桃源郷になるでしょう。

しかしまぁ、なんですなぁ。
実際のところは難しいんでしょうね。

上記の例でいうならば
ランキングなんていらんのじゃないか?とぼくが言えるのであれば、
私はどーしたってランキングがないと楽しく生きていけないのっ!と言う人の意見も認めないといけないわけで。

この程度のことであれば、
「ほうほう、そうか」
と言ってやり過ごせばいいのだけど、

今でいうなら身近なところでよく聞くワクチンの賛否だったり
微妙なラインでいうと公園で子供を遊ばせるなっていう、公園の近くに住む老人の主張だったり
世界的なことでいうならば宗教の問題であったり

考えようによっては白黒がつきにくいものや
事と次第によってはそれは聞き捨てならん!ということで揉め事が起きたり、場合によっては、自分の権利を失いかねないことになるわけであります。

ある程度は法律や世論、同調によって調整していくところがあるのでしょうが、
それもどこまで当てになるのやら。。
さらに事がデカくなれば、そこにいろいろ金も絡んできたりして
真実はどっか遠くに行ってしまいます・・・。

「兄さん、頭が痛いよぅ(by ナイトヘッド←懐かしい)」

結局のところ、そういう人たち&こういう人たちという風にどっかで線を引いて
お互い認め合いながらも距離をもって暮らしていくしかないのかね?

あれ?

これっていわゆる分裂した社会じゃね??

うーん、、、。

相手のことを慮って本当に認め合える社会はひょっとしたら
ものすごーく住み分けが進んだ社会になるのかもしれないけど
でも、まずは小さな事から少しずつ。

折り合いをつけながら個性やら主張やらを認め合って
できれば分裂のない社会になるように実践していきたいものですな。

人類はまだまだ成長しないといけないようです。

■写真
江ノ島あたりから見た富士山
事実は小説よりも奇なりっていうけど、この富士山も本物だけどなんだか少し合成っぽい。

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