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渋い待ち合わせ

ボクの実家は毎年冬になると京都にある伏見稲荷に行っておりました。

実家が商売をしていて、伏見稲荷が商売の神社であるというのも理由のひとつなのですが、それとは別にもう一つ理由がありました。

ボクの地元は昔、伊勢湾台風で大きな被害を受けました。
幸いなことに家族や親族に怪我人などはいなかったのですが、住んでいた町は大変な水害を受けたようです。
近所の神社も崩壊してしまい、その際に祖父はとある稲荷神社の社を譲り受けることになりました。

社を譲り受けたものの御霊が入っていない、いわゆる神社の外側(?)だということもあり、
信仰心のなかった祖父は適当に放置をしていたらしいのですが、しばらくすると親族に足の怪我が多発しました。

おかしいなぁと家族で話していると、寝たきりだったおばあさんが突然起き上がって
「これはなにかのお告げかもしれない!なにか神様や仏様に悪いことをしてないか?」
と言ったそうで家族のみんなが省みたところ、いい加減に放置されていた社でないないか?ということになって、
その社が置いてあるところを見に行ってみると社は祖父が経営していた材木屋さんの従業員や職工さんの休憩所に雑に放置されていて、
そこには地下足袋や靴下が掛けられていたそうです。

そのことを近所の神社の人に相談すると、社には御霊は入っていないけどそういうものが宿っている可能性があるとのこと。

祖父はその社を綺麗にしてその人に伏見稲荷から御霊を迎えいれるように手配をしてもらい、
家の横に小さな神社のようなものを作って奉ったところ頻繁に起こっていた足の怪我がそれ以来一切なくなったようです。

そんなわけで、祖父と父親の兄弟の長男と一緒にボクの父親も、毎年伏見稲荷に詣でに行くことになったというのがもう一つの理由だそうです。
(この話、めちゃくちゃ興味深いのですが、詳しく書くとあまりにも長いので超抜粋してます)

とはいえ、そんな理由を知ったのは結構後になってから。
個人的には、幼い頃はお参りに行くというよりは家族旅行みたいな気分で伏見稲荷に行っていたので、
神社の脇の賑やかに並んだお店や山の頂に続く鳥居の参道、その途中にある雰囲気のある茶屋、、思い出すと若干懐かしい景色です。

今はそれなりに参道も整備されておりますが、ボクが生まれるもっと前はそこまで参道が整っていなくて、
山頂のほうにお参りに行くのにはそれなりに大変だったそうです。
山頂に向かって歩いている時に大雪に見舞われ道に迷ってしまい、
困惑していたところ、山の上のほうから白装束の女性の人が降りて来て
「こちらですよ」
と道案内をされ、ついて行くと無事山頂に着いたもののその女性の姿はそこにはなく、

あれは誰だったのかしら?ひょっとしたら神様だったのかも?
とうちの祖母はかつてしきりに言ってました。

東京に出て来てからは、ボクはほとんど行かくなってしまいました。

大学生を卒業した頃の夏だったかな?久々に伏見稲荷に行ってみたくなり新幹線に飛び乗ったのですが、
せっかくなら友達も呼んでみようと思い新幹線の中で東京に住んでいる暇人の友達に連絡して
「今から京都に来ない?」

というと
そいつは面白そうといって快諾したので、伏見稲荷の中の山腹にある茶屋で待ち合わせをしたことがあります。

夏の平日の午後。
静寂とした山頂へと向かう参道の脇にある茶屋で東京からくる友達との待ち合わせ。

渋い!!
こんな渋い待ち合わせはない!

抹茶のかき氷とお茶を飲んで蝉の声を聞きながら優雅な待ち合わせ。

あまり早く茶屋にインすると相当待たなきゃならないので、
京都駅付近で結構時間をつぶしてからその茶屋に入店したのですが、
実際に友達がやって来たのは店員さんから怪しまれるくらい相当な時間が経ってからでした。

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