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【小説】僕らは夢を見ている 第1話

 2167年。地下に作られた巨大ドームで暮らす人間は、そこをホームと呼んだ。地上には出れないと教育され、『平凡』な毎日を暮らす住民たち。ソウタは中等部三年生、学年リーダーも任される優等生。対して、ゴンタは近年稀に見る問題児。相反する少年二人は、ある目的の為に秘密裏に計画を立て、準備している。それは、地上に出る事。本物の空を夢見るソウタと、大人への対抗心を燃やすゴンタ。そして、脱出計画の最中、生まれてくる謎。なぜ人類は地下に潜ったのか、子供はどこから運ばれて来るのか、ホームの動力源は何か。何を信じ、何を捨てるか。地上の空は何色だろう? 作られた『平凡』をぶち壊す少年たちの夢が、今、始まる。

2167年4月16日 AM6:00

 鐘が鳴る。朝、起床時間を知らせる鐘がドーム全体に響き渡る。それより既に早く起きている者もいれば、鐘が鳴っても未だ夢の中で遊んでいる者もいる。そんな人を起こす声が居住スペースの複数箇所で聞こえてくる。今日は、新年度が始まって八日目。まだ休み気分が抜けきっていない者が多いのは事実。しかし、授業や仕事のオリエンテーションも、全て昨日で終わってしまったのだ。今日からは皆、己の職務に本腰を入れなければならない。
 とある生徒は、鐘が響き渡る中、徐に目を開け、起き上がった。ゆるりと立ち上がり部屋の電気をつける。すると、同室のベッドから幾つもの呻きが聞こえてくる。それを聞き、電気をつけた少年はわざとらしく溜息を吐いた。
「だから言ったじゃないか、朝が辛くなるぞと」
「ソウタ、それは言わないお約束だよ」
 掛け布団からひょっこりと頭だけを見せた少年が唸る。他のルームメイトも彼に続き、布団から姿を出す。昨日の夜、いや、もはや今日に差し掛かるまで、深夜に遊び倒していた少年たち。ソウタから忠告を受けたものの、結局遅くまで起きていたのだ。深夜に遊ぶ背徳感と、背徳感によって増す楽しさの代償がこれである。ただ、愚痴を言っている場合ではない、朝食の時間が刻々と迫っている。身支度を済ませなければならない。のそのそと少年たちは動き出す。
「絶対に今日の歴史、寝るって。内職したかったのにぃ」
「小テスト終わったら寝よう、そうしよう」
「あ、三限の生物も大丈夫じゃない? 寝て」
「あのね、中等部リーダーの僕の前で、そんなサボり宣言をするものじゃないだろう」
「眠いんだから、しょうがないじゃない」
「開き直るな」
 また特大の溜息を吐く少年に、周りが笑う。そんな会話をしながら、各自がいつもの服に着替え、軽く髪を整える。ベッドも、清掃員が授業中にやってくれるが、最低限、綺麗にしておく。朝の準備を終え、皆でホールへと向かう。他の部屋の子供たちも用意が終わったようで、足並みを揃えて歩き出した。授業の話、食事の話、雑多な話が廊下を行き交う。

2167年4月16日 AM7:00

 いつも通り、ファザーの掛け声で朝食が始まった。好き嫌いが多い子供が朝からごねたり、これでは足りないと大食いの子供がごねたり。年齢層が低いところは、一層賑やかだ。高等部のスペースは、違う意味で賑やかになっている。
「小テストどこが出るかな」
「どうせタチバナの好みの範囲だろ」
「レポート、面倒なんだが」
「字数制限怠いよね、四桁もきついのにさ、五桁とか狂気じゃない?」
「本当にそれに尽きる」
 高等部三年に近付くにつれて、座学よりは実技が増える。職業を決める上で大事な、適性検査のようなものだ。それでも、座学が完全に消えるわけでは無いし、座学の内容も高度化する。朝から文句を垂れる年上と、今目の前にある食事に夢中な年下。間に挟まれたソウタたち中等部は、程よく喋りながら腹を満たす。
「実習か、いいなぁ」
「まだ私たちはボランティアみたいなものだものね」
「でも勉強が難しくなるのは嫌なんだよな」
「ソウタは余裕でついていけそう」
 背筋を伸ばし、黙々と食べ続けていたソウタ。話を聞きながら、ふと人影が視界の端に映り、ホールの入り口を見た。同じように見た彼の友人たちが、あ、と呟く。
「またゴンタだ、朝から遅刻?」
「やってんなぁ彼奴も。毎日じゃんか、今期始まってから」
「懲りないね。ほら、あのファザーですら、今日もブチ切れ」
「だらしない事この上ないね。僕も後で注意に行かないと」
 新学期早々、リーダーも大変だなと呟いた。ぼさぼさの髪、着崩した服、切れ目を持つ眠たげな少年は、ファザーの声も聞かず、大きく口を開いて欠伸を一つ零した。ホールにファザーの怒鳴り声が響くと、子供たちが一斉に静まり返る。
 ホール奥に座っているマザーやシスター、ブラザーの声で、また食事が始まるが、話し声は小さい。ゴンタはファザーに引きずられてホールの外に行ってしまった。中等部三年のソウタは、同級生の問題児の背姿を、静かに見守り、姿が消えると、何でも無かったかのように食事を再開した。

2167年4月16日 AM10:45

 いつも通り、舟を漕ぐ生徒が多い一限目を終え、二限目が始まる。歴史は毎回、前回の授業の振り返りをさせる。それに加え、毎回宿題も出してくるのだから、歴史担当のブラザー、イノウエは、子供の敵として有名な先生である。だが、テストと宿題を乗り越えれば、授業は大変楽なものなのだ。一人で延々に喋り、黒板をカラフルに彩り、次の予告と宿題の範囲を指定して授業を終える。その時間は、机に伏せていたり、こそこそと内職をしていたりする生徒が多い。歴史好きの生徒以外は、授業を聞いていない。だから、ソウタと同室の生徒たちも例外なく、夢の世界へと早速飛び立った。
「で、あるからにして__」
 席が決まっていない授業。ソウタは教室後方から、イノウエの話を真面目に聞いていた。彼の授業は、邪魔が入らない限り、緻密な計画の下、速やかに進む。
 世界が混乱し、血に塗れ、消し炭と化した第三次世界大戦。ちょっとしたいざこざから発展した大戦は、世界を分断しただけでなく、地上での生活を不可能にした。宇宙に飛び立った者、地下に潜った者。ソウタたちの祖先は、後者。地下に莫大な広さのシェルターを建設し、そこで命を繋げ、繁栄した。住居者たちにホームと言われるこのシェルター。教科書曰く、地上は今も洗浄不可能な汚染レベルで、人類が生きている内にまた地上の土を踏める日は来ないだろうという見解らしい。
 話を聞き、板書をしながら、ソウタはちらりと生徒の様子を見た。寝ている者、内職をしている者、興味深そうにブラザーの話を聞いている者。ソウタが一番気になるのは、一人の生徒だ。教室の窓越しに、ハリボテの空を熱心に見続けている、問題児。机の上には、申し訳程度にノートや教科書が広げられているが、どちらも真っ新のようだ。後ろから眺めるしかないので、彼がどんな表情で空を見上げているのか、ソウタからは見る事が出来ない。数分間、ソウタはそんな問題児の後ろ姿を見つめ、板書の音が聞こえ始めると、また注意をイノウエに向け直した。

2167年4月16日 AM12:35

 五十分授業の中等部と高等部。初等部から上がったばかりの中等部一年は、初等部の四十五分授業との五分差にまだ苦労しているらしい。もう慣れた様子の中等部三年は、昼休みを各々自由に過ごしていた。ホールはバイキング方式の昼食で、腹を空かせた子供たちで溢れている。そんな中、友人たちと別れ、ある物を持って一人廊下を進むソウタ。どんどん人気が無くなっていく建物の奥で、彼は目的の人物を見つけた。
「今日も元気そうだね、過去一の問題児」
 数ある庭の一つ。余り手入れの行き届いていないそこを訪れるのは、今のところ、ソウタと先客ぐらいだろうと、二人は思っている。聞こえた声に顔を顰めつつ、問題児は振り向いた。
「お陰様でな。お前も相変わらず、大人たちのお気に入りだったじゃねぇか」
「それはそうさ。僕は、どっかの問題児とは違って、真面目にやってる優等生だからね」
「よく言うぜ」
 脱走予備犯が、と小さく、二人にしか聞こえない声で呟く少年。会話が止まる。何処かに設置されている送風機から送られる微風が、放置された植物を揺らす。ふっと、犯罪者予備軍が笑う。
「その協力者が何を言ってるんだい」
「はいはい、そーでした」
 彼は、くすくす笑いながら、優等生らしからぬ粗雑な動作で、問題児の隣に座り、持っていた物を地面に広げた。使い込まれた革の鞄に詰め込まれていたのは、画材の数々。アクリル絵具のチューブが剥き出しの地面に散らばる。いつもの光景だと、ゴンタは溜息を吐いた。此処では急に片付けが出来なくなるお坊ちゃまだなと思いつつ、ちらりと、いつもより表情豊かの少年の横顔を盗み見る。相変わらず大部分は白紙のままの下書き。
 彼は言った。本物の空が見たいと。太陽からの光が、時間帯によって見えてくる色が変化する。それを、自分の目で確かめてみたい。シェルターの内側に投影される人工的な空じゃ、絵は描けないと愚痴を吐いたのだ。雪も見たい、雨に打たれてみたい。そんな子供のような願いを、目を輝かせて真剣に言い放つ優等生は、もう、誰にも止められない。このホームを統治するファザーですら、もうこの聡い少年の手綱を握れない。
「いいキャラしてるよな、お前」
「何のことやら」
 鉛筆で、スケッチブックに下書きを描く。お手本は、図書館の廃棄図書から取って来た写真集。文字も何も書いていない本は、人気では無かったようで、ソウタが手に取った時、まだ新品同然だった。今では、一人の絵描きによって使い込まれた事で、草臥れ始めてしまっている。当の本人は、真っ新で捨てられるよりはこれがいいと、自信満々に言った。今じゃ、何十回目かの森の中の湖の写真を凝視している。
 計画の大部分は不明。今はホーム全体の地図を完全に把握し図面に起こす事と、ブラザー、シスターの動きの法則を見つける事に重点を置いている。ホームにおいて、ホームの外、つまり地上に出られる方法は二つ。一つ目は、死後の亡骸を埋葬する為に、専用の通路を通して送る方法。もう一つは、彼らがやろうとしている、自分で地上に出る方法。後者の方法は未だに誰もやったことが無いし、万が一、実際に実行して失敗し、それがバレた場合、極刑が待ち受けている。
 ホームで極刑を受けた者は、過去誰もいない。極刑を受ける罪を犯した者は誰もいないのだ。殺人や窃盗、第3次世界大戦前はそれほど重罪では無くても、このホーム内において、殆どの犯罪行為は極刑に科せられる。しかし、態々犯罪に手を染めなくても、幸せに暮らせるのだから、罪人がいないのも納得できる。それを、この優等生は破ろうとしている。安全が一生涯保証される鳥籠から飛び出す準備を、こそこそと進めている。
「夜の見回り、休暇と今とで、大分動きが違うな」
「ああ、みたいだね。平日と休日でも違うみたいだ。あ、地図の進み具合はどうだい」
「計算が間違ってなかったら順調だ」
「間違えたら殺す」
「急に殺意しかねぇな。そんなの、ポンコツな俺に頼んだお前の問題だろうが、馬鹿」
 いや、地頭は悪くないんだから、君、大丈夫だろうと、謎の太鼓判を押されても、ゴンタは唸って困るばかりだ。文句を言い合いつつ、ゴンタが今こんな感じだと、手描きの地図を取り出す。ソウタも、見回りに関する情報を書き纏めた紙を取り出した。頭を突き合わせ話す内容は、彼らの住む場所において禁忌。空の為、自由の為。彼らは平気でその禁忌を破ろうとするのだ。


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