「審判員ファン」としての自分

初めまして。umpire fanと申します。
自己紹介がてら、ちょっと書かせていただきました。初投稿なので見づらい点も多々あるとは思われますが、ご容赦いただければと思います。

私の趣味はスポーツ観戦です。プロ野球や男子テニスには通年で注目しており、他のスポーツもかじりながら日々過ごしています。
さて、趣味がスポーツ観戦と他人に話すと、だいたい「どのチーム(or選手)のファン?」と質問が返ってきます。しかし、私には特に贔屓チームもなければ、お気に入りの選手もいません。ですので、どこのチームが勝とうがどの選手が活躍しようが、あまり大きな問題ではありません。
かと言って無為にボケーッと観戦しているわけでもありません。ではお前は何を見とるんや、と問われるのが自然ですが、私は専ら「審判員」に注目して各スポーツを観戦しています。そうです、キャッチャーの後ろでマスクをつけているあの人や、コート脇の椅子に座っているあの人、あるいはボールに合わせて地味に移動している、あの人たちです。

このように返事すると、大抵の人は怪訝な表情を浮かべます。ちなみに「審判なんか見てて楽しい?」との問いかけがお馴染みのセットです。
しかし私は、ある意味審判員ファンがスポーツファン界で最も恵まれているのではないか、と考えています。理由を以下に示します。

①審判員の「確実」な存在...プロスポーツで審判員が存在しない競技は殆どないと言えるでしょう。審判員ファンにとって、これはいわば「推し」が常に存在している状態です。つまり特定チーム・選手のファンとは異なり、審判員ファンはあらゆる試合を楽しむことができます。
加えて審判員の存在は、時に新たなスポーツへの扉を開いてくれます。だってどの競技にも審判員がいるのですから。これほど趣味を広げてくれる「推し」、なかなかいないのでは。

②コスパの良さ...人それぞれとは言え、一般的にファン活動へ熱心になるほど、懐からお金は飛んでいくものです。
一方で審判員を応援するグッズなんか、滅多にありません。無い袖は振れませんので、広い応援対象にも拘らず懐は殆ど痛みません。実際に私は10年ほど審判員ファンを自称していますが、実際に使うお金は現地観戦のチケット代くらい。ありがたいことです。

③精神力の強化...この項は半ば冗談です。
審判員が目立つ時、それは殆どが誤審のあった時です。よく言われますが、SNSや技術の発達により以前に比べ誤審は見つけやすくなり、誤審に対するリアクションも増えたと思います。
もちろん審判員の方々もプロですので、正当な批判は甘受せねばならないでしょう。しかし、批判の域を超えて誹謗中傷としか言えないような言説も一定数存在します。そのような言説に対し、以前の私は口には出さねど心中でキレ散らかしていたわけですが、最近はそのような言説を見過ぎたせいか「ああ、またなんか言うとるわ」程度にしか思わなくなりました。
もちろん推しが不当に叩かれているのは心底不愉快ですが、以前に比べ悠然と構えられるようになった気がします。これを成長と捉えていいのかは分かりませんが、精神的に鍛えられたことは間違いありません。

これらの点から、審判員ファンは恵まれていると日々感じているわけですが、私が審判員ファンになった最大の理由はシンプルなものです。

「見ていて楽しい」

同じユニフォームに身を包み、決まったジェスチャーを行いながらルールに則って競技を進める彼らは、ともすれば「無個性」の象徴とみなされます。また同時に、「審判員が個性を出すな」という意見もよく見られます。しかし審判員も人の子です。彼らのジェスチャー、トラブル対応、選手との関係という面には明確に、あるいは密かに個性が現れます。勿論個性は審判員ごとに存在しますから、その違いは途方もない組み合わせになることでしょう。
そしてその細かい違いに目をつけてしまった時には、すでに底なしの沼へ片足を突っ込んだも同然の状態です。私は小学生の時に沼に囚われた後、約10年経っても抜け出せていません。

こうして私は審判員ファンとなったわけですが、最近はいわゆる「同志」の方々も増えてきたように感じており、嬉しいところです。
これからも全ての審判員に敬意をもって応援していきたいなと考えています。

超弩級の乱文長文を書き連ね、自分でもいい加減恥ずかしくなってきたのでこの辺で。
ここまで辛抱強く読んでいただいた方には最大級のお礼を申し上げます。暇があれば何か書きますので、その時はまたよろしくどうぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?