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3月11日の更新作業

「メディアは節目が好きだからね」

職場の人が冷ややかに言う。3月を控えた、ある日のヒトコマである。
福島に住んで1年足らずの私からすれば、日常生活にかまけてしまい、どうしてもあの日の記憶が薄れてしまうので、記憶を想起させてくれる節目というのは、存外ありがたいものではあるのだが、この地にずっと居る側からすれば、うんざりする面も大きいのだろう。

確かに、こちらに来て9カ月ほど、いろいろと見聞きするうちに自分の中でぼんやりとしていた「ふくしま」の輪郭がだいぶはっきりとする一方で、外部からの「フクシマ」像に違和感を覚えることが多くなってきた。

(あくまで今の時点の、ではあるが)私の「ふくしま」像は、フェーズこそ変わってきてはいるが、確かに2011年3月11日から地続きで今があるし、あの日の残像は何気ない日常生活にいくらでも顔を出す、というものだ。
喫茶店でコーヒーをすすっていれば、「今日は郡山から来たのよ」「あの人は今、東京だ」「あそこからだと遠いんだよ」と原発事故避難の当事者であろう方の会話を盗み聞きしてしまうことは珍しくないし、空間線量計は日常の風景だし、東電の賠償のCMやらチラシやらも目にする。
何万人という人々が住む場所を追われつつ、日々の営みを回復させようとしている、という事実が”単に”そこにあり、悲観さであるとか、あるいは未来への希望であるとかそういう物語は特にない。重たい現実ではあるが、そこに色があるわけではなく、現実としてただ存在するのだ。

こういう受け止め方をしていると、外からのお決まりの「フクシマ」描写に辟易としてくる。
すなわち、原発事故が起き、帰りたくても帰れない状況となった人々と誰もいないゴーストタウンがあるという”悲惨さ”を強調する描写と一方で、その悲劇の中から明日への一歩を踏み出そうとする市井の人々の姿という”希望”を強調する描写の2点である。
大概、この悲劇と希望の物語は2点セットで展開されるが、たまに党派性を帯びた文脈で一方のみが開陳される場合もある。ただ、おおよそ この単純な物語からは逸脱しない。

確かに、分かりやすい物語であるし、そういう物語に合うような思考・行動をとる人は少なくない。ただ、この物語から少しズレる思考や行動はいくらでもあるし、現実はもうちょっと複雑な心の葛藤がある。
そういうズレや複雑さを捨て去ってしまって、分かりやすい物語、いや、外の人が見たい・聞きたい物語、に収束させてしまおうという姿勢に違和感を覚えるのだ。

結局、そういう姿勢というのは、福島の人々を喜怒哀楽のある人として真摯に向き合っているというよりは、悲劇の主人公というアイコンとして消費しているだけではないか。
もっと、厳しい言い方をすれば、人を人として扱っていないのではないか。そんな気がする。

とはいえ、福島が抱える現実は複雑すぎるし、外の人に完全に理解してもらおうというのは無理のある話ともいえる。実際、私だってまだよく分かっていない。そうなってくると、現実的な落としどころはどこか。

おそらく、物語ではなくファクトを見ること、2011年から更新が止まっている「フクシマ」像をファクトベースでアップデートすることが、手始めにできることではないだろうか。
あの日、私たちがテレビの画面を通じて目にした津波や水素爆発のビジュアルはあまりに強烈すぎたし、それを忘れ去ることは出来ないうえに、すべきでない。
ただ、あれが2011年3月11日以降の東北、ないし福島で毎日繰り返されているわけではない。歩みは遅すぎるぐらいに遅いが、状況は変わっている。
むろん、明るい未来に向かっての前進ばかりではない、立ち止ったり、後退したり、あるいは新たな問題が出てきたりということの繰り返しである。
ただ、あの日からは確実に変化していることだけは確かである。

福島の内と外での認識のギャップは、福島の人々が日々の営みの中で、絶え間なく「ふくしま」像をアップデートし続ける一方、福島から少し距離のある人々のイメージが2011年からほとんど更新されていない「フクシマ」像のままであることに起因するのではないか。
そろそろ、10年以上経ったことだし、最新版の「ふくしま」像に更新するか、「ふくしま_2024」という新しいフォルダを作ってほしい。
日常業務で必要な容量をきちんと確保したいだろうし、変化の目まぐるしい世の中で、今の福島のために容量確保を求めるのも酷な話ではあるのだが、少しだけ福島のためにお願いできないだろうか。

「ふくしま」像の共通認識を作ってはもらえないだろうか。

365日24時間、最新版にアップデートしろとは言わない。せっかくの節目だ。悲劇と希望の物語を消費するのではなく、更新作業をしてはもらえないだろうか。

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