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M氏を連れて

土曜の朝7時前、昨日の深酒のせいかなかなか寝付けず、ようやく手に入れた惰眠をむさぼっていたらM氏に急に起こされた。
「朝飯買うの忘れてたから、コンビニ行ってくる」
そんなもん、人をわざわざ起こさずとも書き置きするなり、LINEで一言メッセージ送っておくなりすればいいのに・・・と思いながら、眠い目をこすって「はい」と返した。この人は、いつもそうだ。気が利かない。

M氏は、学生時代の知り合いで1ケ上である。1ケ上なので、私は敬語で話すが、この人が年上らしいことをしてくれたことは一度だってない。気が利くわけではないし、なぜか人を集めてしまう・・・なんて魅力的な人柄でもない。とんちきなことを喋ることは多いし、ぼそぼそ喋るからそもそも何を言っているのか分からない。そのくせ他人の影響は受けやすく、軽率な行動が多い。詳細は省くが、5年ほど勤めていた会社も「一念発起」をして今年、辞めたそうだ。今は職業訓練校的なところで勉強しつつ、バイトで食いつないでいるらしい。正直、この人とかかわりを持ち続けても私には何の得もないのだが「来る者拒まず、去る者追わず」のスタンスゆえ、来るからには相手をしてしまう。しょうがないので「こういう人は、こうやって生きてるんだな」という学びを得るための定点観測をしている。

そういうM氏が、先日突然に「福島へ行きたい」とLINEを送ってきた。前述のとおりなので、受け入れをする。金曜夜にM氏がやってきたので、居酒屋で一緒に飲み、家に泊めた。そして、その朝である。眠りを邪魔されたので、やや不機嫌になりながら朝の身支度をする。今日はM氏を浜通りに案内せねばならないのだ。
8時になり、愛車の助手席にM氏を乗せ、国道114号を走る。改めて話を聞くと、M氏は東北自体が今回初訪問ということで、もちろん東日本大震災の被災地に来たことがない。そういうことならと、ひとまず浪江町にある「震災遺構 請戸小学校」に連れて行く。
請戸小学校は、津波被害のあった小学校を被災当時のまま保存・公開している施設である。あのとき人々を襲った津波がどういうものなのかを目で見て知ってもらうには適切だろうと思った次第だ。最初に受付で入館料を払う。さも当然という形で自分の分しか払わないそぶりをM氏がしたので、財布を取り出す。(こちらが車の運転とガソリン代を負担しているということには、こちらが小言を言わないと最後までこの人は気づかなかった)

私が請戸小学校を訪ねたのは、これで2回目だが、M氏に向け多少の説明はする。M氏は話は聞いてくれるのだが、津波が襲った校舎を一生懸命見ると言うよりは、パシャパシャとスマホを向けることに重きを置いている。
私も撮影に夢中になることは、まあまああるのだが震災遺構にカメラを向けるのは、やや躊躇をするタイプなので「この人、きちんと見たり感じたり考えたりしているのかな」と不安になる。まあ、そんなもんは人それぞれなのだが・・・。

請戸小学校は津波被害をそのまま見せるだけでなく、パネル展示がある。地区の津波被害の全容、原発事故の影響、住民がどのような思いで避難生活を送ったのかなどが丁寧に説明されている。
津波のみならず原発事故があったことで、住民が直面した困難は非常に複雑化した。パネルの中に「早く、この地区に戻れというのは住民にさっさと死ねということか」という趣旨の声が紹介されていた。もちろん極端ではあるのだが、放射能が本当に問題ないレベルにまで低下するのか、低線量被曝のリスクは本当に問題視しなくても良いレベルなのかなど、不安に包まれていた時期である。もし、この声の主に小さな子どもや孫がいたら、その不安はなおさらだろう・・・と私は思うのだがM氏はその声を見つけ「主張が強いな(笑)」と言った。まあ、そういう受け止めもあるだろう。が、私は看過できなかったので上述の説明をした。せねばならなかった。

請戸地区は、原発事故のため捜索活動が発災後1か月経ってからしか出来なかった。3月11日当日に捜索活動にあたった地元の方は、暗くなった中で助けを求める声が聞こえ「明日の朝になったら助けに来るからな」と暗闇に向かって叫んだが、その約束を果たせなかったことを強く悔いているというエピソードがある。パネルや映像などでも紹介されているのだが、原発事故がもたらしたものを知ってもらおうと思い、M氏に話した。

「もし、原発事故がなければ翌日以降も捜索活動ができて助かった方がいたかもしれない。原発事故による死者はいないとされていますが、そうとは言い切れないんです。」と話し終えて、M氏から返ってきたのは「死者がいるってなると、中国がさぁ~」という全く予想だにしない言葉だった。「今、中国の話してないんですが」思わず私は語気を強めた。
どうも処理水放出に対する中国の強硬姿勢を批判したかったようなのだが、その話とこの話の間には、相当な距離がある。

この頃、ニュースは処理水の海洋放出で持ちきりだった。結果的には、懸念されていたほどの風評被害は起きなかったが、唯一の例外が中国による日本産水産物の全面禁輸措置であった。国内世論としても、この非科学的で合理性を欠く対応に反感が集まった。

ただ、M氏の言動を見ていると、中国を叩きたいがために、福島をだしに使われているような、そんな違和感があった。彼としても、福島のことが一切どうでもいいという訳ではないのだろうが、その優先順位は低く、あくまでも中国へのアンチテーゼの具体的行動の一つとして、福島訪問があったのではないか。そんなふうに邪推してしまう。

M氏は「常磐もの」にもこだわった。
常磐ものとは、福島や茨城県沖で取れる海産物の総称である。常磐ものは震災以前から評価が高く、シンプルにうまい。ただ、311以降は漁獲制限などもあり、取引は下火になっていた。近年になって、安全性も確認され、流通するようになってきたのだが、処理水の海洋放出で再び風評被害が懸念されていた。農水省が「#食べるぜニッポン」の消費喚起を目的としたプロモーションをしていたのを覚えている方も多いだろう。

そのときは、M氏が常磐ものに異様なこだわりを持っていたことを不思議に思っていたが、思い返してみると、常磐ものを食べることもまた中国へのアンチテーゼを具体化する行動だったのだろう。結局、うまい魚を食べたいという話ではなく、常磐ものを食べるという愛国的行動をとること(もっといえば、それをSNSに挙げていいねをもらうこと)が第一義的な目的だったのではないか。そして、そのために来訪したと考えると、いろいろ合点がいく。

先日の投稿で、軽い気持ちで福島に来て欲しいと書いた一方で、こんなことを言うのも矛盾するのだが、自らの政治的主張のために福島を利用するのが目的なら来てくれるなと思う。私など、福島に来て1年も経たない新参者である。というか、まだ事実上のよそ者である。それでも、透けて見える「本当は福島のことなどどうでもいい」という思いには敏感である。これが生まれ育った人、いわんや311を経験した人にとってはどれだけ侮辱的な態度であるか。
是非、福島には気軽に来て欲しい、でもそこに住む人に対する最低限のリスペクトは持ってもらえないだろうか。いろいろなものを見聞きして感じて欲しい、でも色眼鏡は一度取ってもらえないだろうか。いま自分が見ているものをフラットな状態で考えてもらえないだろうか。もう少しだけ想像力をもってもらえないだろうか。

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