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「栃木県庁」をめぐる旅(上)

関東以外の方にとって「茨城県・栃木県・群馬県の県庁所在地を答えなさい」という問題は、それなりに難易度が高いと思う。この北関東3県、いずれも県名と県庁所在地名が一致しない(うえに、それぞれの印象がよわ・・・おっと、誰か来たようだ)ので、私も中学生の頃、覚えるのに手こずった記憶がある。
都道府県名と県庁所在地名の不一致については、宮武外骨の賞罰的県名説(戊辰戦争で朝敵になった県の県名と県庁所在地名を変えたという説)で説明されることもあるが、この説の反例は結構あるので、あまり当てにはならない。そして、栃木県もその反例の一つと言ってよいだろう。

栃木県は、かつての下野国をそのまま県域としている。江戸時代の下野国は、宇都宮藩や壬生藩、佐野藩などの諸藩と日光東照宮の領地(日光領)や幕府直轄地・旗本領などが混在しており、明治の廃藩置県直後も、旧藩領等をそのまま県にしただけなので、この混在状況は解消されなかった。
明治4年、第一次府県統合が行われ、下野国は宇都宮県(県庁は河内郡宇都宮)と栃木県(同・都賀郡栃木)の2つに整理された。この時点では、県名と県庁所在地が一致している。

栃木県の変遷(出典:栃木県庁昭和館)

だが、ここからの話が少しややこしい。
明治6年には、宇都宮県と栃木県が統合し、改めて栃木県が成立した。この時点では、栃木県庁は引き続き都賀郡栃木に置かれていたのだが、宇都宮の住民らが県庁の宇都宮移転を求める運動を展開する。改置・栃木県の初代県令であった鍋島貞幹は、この県庁移転に対して首を縦には振らなかったが、三島通庸が栃木県令に就任すると、県庁の宇都宮移転を一気に進めた。
当時、県庁を移転すると合わせて県名も県庁所在地名に変更することがあったのだが、三島は栃木県という県名の変更はしなかった。この結果、栃木県の県庁所在地は宇都宮という現在の状況に至ったのだ。(地理で痛い目を見た皆さんは是非、三島通庸を恨んでいただきたい。)

現在、宇都宮にそびえている栃木県庁は、5代目の栃木県庁舎となる。

5代目・栃木県庁舎

初代県庁は栃木に、2代目以降は宇都宮になったのだが、実は初代・4代目の栃木県庁舎は痕跡が今なお残っている。これを少し見てみようと思い、私は一路栃木県へ向かった。


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