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揺れる大地

先週の木曜夜、日付が変わったので厳密に言うと金曜日。
特に仕事で疲弊していたわけではないのだが、どうも疲れて何をするでもなく、うつらうつらしていた。さっさと風呂に入るなり、布団で寝るなりすれば良いのだが、その一歩が踏み出せないでいたら、どーんっと衝撃のようなものが来て掛け時計がゆらゆら揺れ始めた。
寝ぼけた頭で、いったい何が起こったのか掴みかねていたのだが、スマホがけたたましいアラート音とともに「地震です」と叫んだので、ようやくこの事象が地震であることを認識した。何かしなくてはと思ったところに、さらに大きな衝撃がドンッと来た。恐怖で身体が動かなくなった。

軽くパニックになっていると、幸いにしてほどなくして揺れが収まった。
急いで、NHKを付けると、福島県沖が震源で最大震度5弱だったらしい。とはいえ、私が住んでいる福島市は震度4、電気ガス水道いずれも止まることもなかったので、たいしたことはなさそうだと思い、その日はそのまま床についた。

福島はまさに揺れる大地である。東日本大震災を持ち出すまでもないし、その後も2021年、22年にも震度6弱を観測する強い地震が2年連続に見舞われ、福島県内では東日本大震災以上の建物被害が出ている。震度3以上を観測した回数も、全国の都道府県の中で福島県が最も多いらしい。とはいえ、福島に来て9か月ほど経つが、大きめの地震はこれが初めてとなった。
人生で経験した最も大きい地震にこそならなかったが、感じた恐怖はなかなかだった。

今のところ人生で経験した最も大きい地震は2021年10月7日に千葉県北西部を震源とした地震で、私は都内で震度5弱を経験した。発生時刻は22時41分ごろだったが提案書の作成に追われ、そのときはまだ職場にいた。
会社が建っていた場所の地盤が弱かったせいか、フロアが最上階だったせいか、えらく揺れていたことを覚えている。
たまたま、課長もいたのだが、課長が机の下に潜れと言われ、なんとか潜りつつ、一方、当の課長はモニターを押さえるばかりだったのは、考えてみるとなかなか滑稽ではあった。
揺れが収まって周りを見てみると、いくつかのモニターが倒れ、資料や本が散乱していた。エレベーターは緊急停止し、警備室からの放送が館内に流れている。結局、鉄道も止まってしまい、帰宅できたのはとうに日付が変わった頃だった。

震度5弱でこのレベルなのだから、福島がこれまで経験してきた揺れとその被害はもっと とんでもないものだろうし、その痕跡は今でも(気にとめてさえいれば)あちこちで見られる。

たとえば、福島駅東口の繁華街エリアは駐車場が多い。
車社会なので当然と言えば当然なのだが、立駐などではない平面駐車場、しかも狭い駐車場が虫食い状態であちこちにある。これ、実は前述した福島県沖地震によるものらしく、もともとあった建物が損傷を受け、改修したり事業再開したりすることなく、そのまま解体し、空地を駐車場にしているらしい。なんなら、もう少し路地に入れば、壊れかかった家屋や屋根にブルーシートがかかっている住宅がまだ残っていたりする。先日も、行きつけのお店の向かいのお宅が解体中だったのだが、ご店主から「一昨年の地震のせいで」と教えてもらった。
もちろん、これらの事象の背景には、地震だけでなく空き家問題や中心市街地の活力がなくなっているという全国の地方が抱える共通の問題もあるのだが、地震という自然現象が社会問題を加速させている側面は確かにあるのだ。

何の調査だったか忘れたが、福島県の企業進出について地震を理由に躊躇ったという類いの回答が少なくなかったということも聞いたことがある。
東北6県で福島県は製造品出荷額が最も多いのだが、最近は宮城県のほうが堅調らしく、先日も宮城県内に新たな半導体工場の造成が決まった。おそらく、新工場が稼働する頃には福島は東北一の工業県の地位を奪われているだろう。

揺れる大地で、生命と財産をいかに守り、育めるか。福島に与えられた課題はちょっと難解すぎる。

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