見出し画像

彦根藩世田谷領の痕跡を訪ねて

雨の日曜日、世田谷をふらふらしてみた。

住宅街しかないと思われるかもしれないが、意外と世田谷には見どころがある。
世田谷のあたりは戦国時代には世田谷吉良氏が支配しており、その拠点である世田谷城があった。世田谷吉良氏は後北条氏の配下についていたが、秀吉による関東平定で没落。

変わって、世田谷の地を領地としたのが徳川四天王の一人・井伊直政を祖とする彦根藩井伊家だった。井伊家の本拠は彦根城(滋賀県彦根市)であったが、いろいろとゆかりの物が残っているので、それを見てみたいと思った次第だ。

東急田園都市線桜新町駅から北へ進む。駅周辺の喧騒はほどなくして消えて、閑静な住宅街が続く。間もなく世田谷線上町駅にたどり着くというあたりに緑の多い場所がある。正面に回ってみると、なんとも立派な茅葺きの長屋門がある。

世田谷代官屋敷の表門

ここが今回、特に見てみたかった世田谷代官屋敷だ。江戸時代、彦根藩井伊家の領地であった世田谷だが、彦根にいる井伊家が自ら世田谷領を支配するわけにはいかない。そこで代官を立てて、その代官に世田谷を治めさせていた。ここは、その世田谷代官を務めていた大場家の屋敷である。

見学ができるので、敷地中に入ってみる。世田谷代官屋敷には、長屋門のほかにも主屋がある。こちらも立派な茅葺き屋根だ。

主屋、少し改修工事をしていたようだ

こちら、上がることはできないようだったが、土間の部分には入れる。

玄関、こちらからは入れない
土間から中を覗く

やはり、代官の屋敷ということもあり、立派なお屋敷である。視線を上に向けると、梁がこれまた立派だ。

土間の屋根裏部

雨ということもあり、他に見学者もいないのでじっくりと見学する。聞こえるのは雨音ばかりで、ある意味、静寂な時間が流れる。

庭を眺める

よほど、ここの縁側に腰掛けて雨に濡れてさらに青々としている新緑をじーっと小一時間ほど眺めていたかったが、上がるなとのことなのでここは堪える。
ただ、本当にここが東京のしかも23区内なのかと信じられないほどにゆっくりとした時間が流れていて、とても良い空間だった。

ちょっと洒落たベランダ空間まである

ちなみに、ここのお屋敷のご主人である大場家は、もともとは世田谷吉良氏に仕えていたそうで、吉良氏没落後に帰農したものの、井伊家に代官として取り立てられたとのことだ。

さらに、余談だが大場家は大庭景親につながる家系らしい。
大庭景親は、平安時代末期に関東を治めていた武士で、平家方だった景親は反平家の狼煙を上げた源頼朝を石橋山の戦いで破っている。その後、再起を図った頼朝によって、今度は討ち取られてしまうのだが、名門の坂東武者であったことには違いない。(今やっている大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも大庭景親は出てきており、國村隼さんが演じられていた。)

このような家系であったことも、代官として取り立てられた理由の一つだったのだろう。

都内に残る貴重な江戸時代の屋敷である。一度、なにかのついでに足を伸ばしてみるのは面白いと思う。

せっかくなので、もう少しあたりを散策する。世田谷線の線路を超えて北に進むと、また緑が生い茂った場所がある。
ここが世田谷城跡で、現在は公園となっている。一応、堀切の跡などあるが、分かる人には分かるといった感じだ。私には分からなかった。

世田谷城跡

こちらは、ほどほどにしてさらに北へ進む。

間もなく見えてくるのが、豪徳寺だ。こちらは、小田急線の駅名になっていることもあり、有名だろう。
私は初めての訪問でもあったので、きちんと正面から参拝することにした。

門前の松並木

入口からは樹齢がそこそこにありそうな松がずっと続いている。これまた東京とは思えない空間だ。

松並木を過ぎると山門が出迎えてくれる。これまた立派だ。

豪徳寺山門

門をくぐると、正面に仏堂、左手に三重塔が見えてくる。

仏堂
三重塔

とりあえず、ご挨拶を先にしておくかということで更に奥に進み、本堂へ。こちらも立派だ。

本堂

境内はこの他に井伊家の墓所もあるなどして、結構広い。
流石、有名寺院なだけあって、雨の日だが何人か他の参拝客もいたが、それが気にならない程度には広いので、これまたゆっくりと時間を過ごすには心地よかった。

もともと豪徳寺は、弘徳院という寺院として世田谷吉良氏によって建立されたそうだ。ただ、江戸時代になってからは井伊家との縁があり、井伊家菩提寺になっただけでなく、寺の名前も藩主・井伊直孝の戒名にちなんで豪徳寺になったそうだ。

で、豪徳寺が井伊家の菩提寺となった縁というのが、これだ。

ずらりと並ぶ招き猫

井伊家の領地となった世田谷だが、江戸時代のはじめの頃はまだ山野が広がっており、当時の彦根藩主・井伊直孝は鷹狩をこのあたりでしていた。

その際、豪徳寺の門前を通りかかったところ、門に猫がおり、その猫が直孝を手招きしているように見えたそうだ。直孝は、これを見て豪徳寺で休憩を取ることにした。寺では住職がありがたい説法をして、これに直孝は満足。

さらに、休憩していると急に雷をともなって雨が降り出したそうで、直孝は「猫の招きのおかげで雷雨は避けられたうえに、ありがたい説法まで聞けた」とこれまた大満足、これをきっかけに豪徳寺と井伊家に縁ができたとのことだ。

また、この際の猫がもとになって招き猫ができたらしい(一応、招き猫の発祥には諸説ある)。

さらに余談だが、この話をモデルに作られたのが、彦根市のマスコットキャラクターであり、ゆるキャラの代名詞とも言える「ひこにゃん」だ。決して単にかわいいからという理由だけで猫がモデルになっているわけではない。

豪徳寺の招き猫は、白猫で特に小判などは持っていない素朴なものだ。寺務所でいただくことができる。この招き猫を携え、本堂で願掛けをして、あとは家に迎えるというのが作法のようなものらしい。境内にある招き猫は、願掛けがかなった方がお納めされたものとのことだ。

というわけで、せっかくなので小ぶりな一匹を、お迎えすることにした。なかなか可愛らしくて気に入っている。

豪徳寺の招き猫

小さな散歩ではあったが、東京とは思えない空間がいくつもあり、楽しい時間だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?