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ダイチャリで東京から神奈川まで17キロ走った話

かなりしっかり終電を逃してしまい、17キロの道のりをダイチャリで帰ったのだった。

新宿から、首都高と多摩川を超え神奈川まで。

酒による高揚感とその場の衝動からくるアドレナリンによって成し遂げた偉業だ。

結論を言うともう二度とやりたくないんだけど、走ってる最中はめちゃくちゃ楽しかった。
というか、楽しまないとやってられなかった。

師走の深夜は容赦なく寒い。
氷点下とはいかないまでも、気温4度の中大した防寒もせずに電動アシスト自転車を漕ぎ続けたので体表面の温度はかなり冷たくなっていた。

出発してすぐ、まだ新宿区を脱出しないうちから若干息が上がって半開きになった唇や耳、手足の指先の感覚がどんどんなくなっていくのがわかるのだ。

「一回やってみたかったんだよな」という好奇心と、「意地でもタクシーやネカフェを利用したくない」という覚悟がなければ成し遂げられなかった。

その日は幸いにも雲一つない晴れた夜で、最寄りのダイチャリステーションまで徒歩で向かう間ずっと星を眺めていた。

オリオン座は東京のど真ん中でも見えやすく、形も独特で見つけやすくて良いなと思う。

新宿から代々木までの道に人はまばらで、車道はタクシーばかり走っていた。
たまに遅くまでやっている飲み屋に出くわすと、たいてい店前にはすっかり出来上がった会社員たちがたむろしていて、「朝までどう過ごすか」について話し合っていた。

代々木駅前でダイチャリをゲットしいざ岐路へ。

ナビタイムの自転車専用ナビアプリによる音声案内に従って、東京の緩やかな高低差のある道を走りだす。

電動アシスト特有の急発進にもすっかり慣れたなと思う。
何年か前にはじめて乗ってみたとき、なんでもないような歩道の段差を乗り越えようとしたら猛スピードで目の前の塀に激突して赤っ恥をかいたことを思い出した。

少し硬いサドルに尻を痛めながら、代々木、明大前、渋谷、世田谷……と、大都会から徐々に住宅街へとグラデーションしていく景色の中、道中何件もある新聞屋が、朝刊をいくつも折り畳み、スクーターに載せて発進していく様をコマ送りのように横目で見る。

走行時間40分を超えたあたりで手足の指先がどうにも冷たくて耐えられなくなってきた。
漕いでも漕いでも延々東京から出られず、どうにか大きい駅までたどり着いたらもうそこからタクシーを呼んでしまおうかと5分に一回考えたが、ナビタイムの提案してくるルートが首都高沿いだったので全くダイチャリステーションに行きあたらなかった。

ダイチャリで孤独に長距離走行をするときに必要なもの、それは適度な曲がり角である。

自転車用に最適化されたルートであるせいか、直進が多めのルート設定だったのだが、そうすると次の曲がり角まで2キロ近くナビタイムがだんまりを決め込む。そうすると暇で暇で仕方がない。
曲がり角に近づくと100メートルごとに「もうすぐ右折です」などと言ってくれるのでいくぶんか気がまぎれる。
こういうとき、もうちょっとAIが発達したら適当な励ましの言葉をささやき続けてくれるモードがあったら楽だろうな。

さっきから首都高首都高言っているが、それが本当に首都高なのか高速道路なのかは分からないが、片側3車線で上には長い高架が渡っている大きな道を渡らなければならなかった。

ナビが示した場所に横断歩道はなく、仕方なしにそのまま直進して次の横断歩道を渡ってルートに戻ろうと思って進んだが、行けども行けども渡れる場所がない。
時間にして15分くらい、1回か2回歩道橋に出くわしたが、自転車を押して進む用のスロープがないタイプだったので渡れなかった。
こういう道沿いで働いてる人って、道の向こう側にコンビニが見えているのにそこに辿り着く術がない状況についてどう思ってるんだろう。
もう諦めてちょっとコンビニ行くだけでも車を出してるのかな。

「このまま神奈川から遠ざかってしまったらどうしよう」と不安に思いながら進んだらなんとか横断歩道を発見して事なきを得た。
世田谷に入る。

渋谷区と世田谷区は隣接しているのに、はっきりと景色が違う。

渋谷区は団地が多く、そして街路樹も多かった。
対して世田谷は一軒家が多い。そんな感じだった。

一軒家が多いと街灯が少ないので、玄関策にあるランプやバイクといったすべてのものが人影に見えてきて怖い。

しかし世田谷まで来ればもう神奈川県は目と鼻の先で、小田急線の親しみ深い駅名と同じ地名が電柱のプレートに印字されているのを見ると勇気が湧いてくるのであった。

喜多見、狛江、和泉多摩川、川を超えれば神奈川だ。

暖かい風呂と猫のことを考えながら進む。

薄いローファーに収められた爪先は冷凍の鶏肉のように硬くて動かない。

白い息を吐きながら進み続けて、やっと見覚えのある道に出たときの達成感といったらすごかった。

帰ってこれたのだ。自転車で。
仮にタクシーを使ったとしたら余裕で万を超えるであろう道のりを、630円で帰ってこれた。

時刻は4時前になっていて、まだ誰もいない駅のホームでホームドアが開閉テストをしていた。
開閉テスト専用のアナウンスがあることを知った。

深夜から早朝にかけての町には、深夜から早朝にかけての町だけに存在するルールがいくつもあるのだ。

仕事を終えたスーパーの夜間警備員は、屋上駐車場の坂道を歩いて降りる。
夜勤を終えた秋葉原のガールズバーの女たちは、始発までの間駅のトイレの個室で休む。

そういうのを集めるためだけに、夜勤のバイトをしてみてもいいのかもね。

すっかり冷えて固まった足の裏で地面を踏みしめ、ハァハァしながら家の玄関を開ける。

あまりにも手が冷たくなっているので、ただの水道水がお湯みたいに感じられた。

追い炊きした風呂で体中を解凍して、
潔癖症なので全身しっかり洗ってスキンケアもしてドライヤーも歯磨きもちゃんとやって寝た。
ネコはあったかかった。

なんとか手足のしもやけは回避して、今これを書いている時点でそれから20時間くらい経っている。

ふくらはぎが痛くて痛くて、未だに尻も痛い。
もう二度とやりたくないけれど、一度はやって損はない経験だったと思う。

実は人生で初めて終電を逃した。

昔は終電を逃してタクシーやネカフェを使うなどという状況により余計に失われるお金やたばこ臭さ、知らない場所で眠ることのすべてがひどくみじめに感じられてどうしてもいやだった。
その気持ちは今でも変わらない。

でも今この時代にはちょっとやる気と体力さえあれば少額で、そしてそんなに長くない時間で東京から神奈川に帰ることもできる。

終電を逃してもあきらめなければ始発が動く前にふかふかのお布団で眠れますよ。という啓発。

まだそんな経験をするなど夢にも思っていない頃の牡蠣タワー。

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