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エイプリルフール

 だったらしい。どうやら昨日は。エイプリルフールになると毎年

「エイプリルフールは厳密には午前中までで〜」

 うんぬんかんぬん言ってくる人がいるけどそいつ絶対人狼ゲームでめちゃキモムーブしてるよ。ゲーム終わったあとめっちゃ影で「あのリア狂がな〜」とかコソコソ言ってそう。

 僕人狼ゲームの、自分の役割終わったから俺殺していいよっていう流れがめっちゃ嫌いで、あれ意味わからなくないか?村が生き残っても僕が生き残らなきゃ嫌でしょ。
…………アレ?これキモムーブしとるの僕の方じゃ?
まあ普段から怪しすぎてだいたい初夜で殺されるから意味無い話なんだけどね。

 でもさ、生き残りたくない?生存戦略〜!ってやつです。

 輪るピングドラム、劇場版嬉しすぎ。もう1回見返そう。

 毎日嘘ばっかりついているせいで、いざ嘘をついていいと言われるとなんだかかしこまってしまって嘘をつくことが出来ない。結局今日は1度も嘘つかなかった。
……嘘だけど。でもなんか意識してうまくつけなかった。
 
 エイプリルフールにつく嘘って逆に印象に残るというか、この日につく嘘って“エイプリルフールについた嘘”として存在しちゃうじゃないですか。僕は普段無意味な嘘、得にも損にもならないホントに無意味な嘘ばかりついているからそういう、嘘が残るタイプのエイプリルフールの嘘ってなんだか苦手なんだよな。
 
 たとえばホントは昨日、散歩してないのに「昨日散歩したとき〜」なんて話をしたりする。嘘なのに。ごめんね。

 僕がよく嘘をつくという話をすると優しい人(信じられないことだけど、この世にはどんなことでもいい方向に持っていってくれようとするめちゃくちゃ優しい人が存在するのだ!)が、

「嘘をつくってことは絶対的な悪ではなくて、会話を円滑にすすませる嘘は必要だと思うし、嘘をつくってのはホントはキミに優しい心があるからじゃないのかな」

 と、言ってくれたりする。マジで嫌すぎる。正当化せんでくれ。嘘はダメなもので例外をさも当たり前のように持ってきてはダメ。嘘はダメという前提が形骸化して例外が本筋に来てはダメだと思う。悪びれずに「嘘つくんすよ僕笑笑」なんて言う僕を擁護するな。そんなところに“優しい嘘”ってやつを使うのはダメだよ。
……1つの段落で何回ダメって書くんだ僕は。

 嘘つきと遅刻癖はホントに信用をゴリゴリ削っていくし、それを忘れちゃいかんのよ。周りが優しい嘘のベールで非可視化してるけど実際はゲージがどんどんなくなっていってるし、しかも怖いのが優しい嘘を言う側も自分を騙しきっちゃってるからホントにある程度までは「全然気にならないよ〜」って思ってるんだよな。んであるとき急に決壊すると。

 本気で治そうとしない僕は人から信用されたくないのではないかという気がする。僕がこの世でイキリ野球部より嫌いなものは責任を背負わされることなんだけど信用されると必然的にある種の責任が発生するじゃん。それがホントに苦手なんだよな。重すぎ。

 自分で嘘をよくつきますなんて吹かすのも多分自分の言葉を軽くしようとしてるんだよな。めっちゃフリースタイルラップ弱くありたいもん僕。一撃の重さ要らんな。アクティオンゾウカブト使いたくない。コクワガタでムシキングしてたタイプ。

 昨日は髪を切りました。桜を見ました。履歴書を買いました。証明写真を撮りました。偉い!

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