解散命令請求
2023.10.13
解散命令請求の日。
感情が激しく揺さぶられると思っていたのに、思ったほど気持ちが動かず、どちらかというと一日どんよりした気分で過ごした。
被害者や長年闘ってきた弁護士の重みのあるコメント、
解散命令請求を歓迎するジャーナリストや言論人、一般国民のコメント、
数は少ないが山上さんを労わるコメント。
どれを読んでも気持ち的に乗っかることができず、そんな自分にまた落ち込んだ。
ちょうど私生活がしんどかったのもあるが、ある2世の言葉も原因の一つだったかもしれない。
「統一教会が解散するかどうかはあまり興味がわかない。解散したところで、自分の人生が救われるわけじゃないから」といった趣旨のポストだったと思う。
怒りを行動に移した山上さんをはじめ、解散を強く訴える被害者、賛同者(自分を含む)に視点をおいていた私には「こういう考えで生きてる2世さんもいるのか…」と衝撃だった。
直接被害を受けたわけでもなく、被害者を長年支援してきたわけでもない自分。
統一教会をある意味必要とし、内包していた社会で、平和に暮らしていた自分。
彼をの言葉でそういう自分の立場に直面したと言えるかもしれない。
そんな自分もまた、解散の前後で何が変わるというのだろうか。
「悪を倒して気が済んだ」という気持ちを味わう以外に?
教団を利用するときはさんざん利用してあっさり見捨てる政治家たちと、見えない犠牲者の上で平和に暮らしてきた自分が解散命令請求に万歳することは根が同じのような気がして落ち込んでいたのかもしれない。
今日感慨を述べる資格があるのは本当に苦しんできた被害者、闘ってきた支援者だけだ。
そんなふうに考えてたら自分の気持ちをどこに置いたら良いのか分からなくなってしまった。
私の文章力ではこの気持ちを100パーセントここに表現できない、書けば書くほど違うことを書いているような気がするけれど、この日の記録として書き留めておこうと思う。
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