ストーリーテラーを信じるな

2023.11.5

「抵抗しつつも自ら堕ちていくイメージ」


タイトルの「堕ちる」という表現に抵抗があった。
言論、思考による解決を放棄して安易に暴力的手段に訴えたというイメージか。

法的には犯罪者に「堕ちた」のだろうが、私の中では「堕ちる」というより彼が、彼の中の「正しさ」という頂点に向けて一歩一歩昇り詰めていくイメージがあったから。

だが、この「ストーリーテラーを信じるな」の文章を読み、
初めて「堕ちていく」イメージが腹に落ちた。
ただ「堕ちていく」のではなく、「抵抗しつつも自ら堕ちていく」。


奥底に涙をたたえた路傍の石。
殺人をしながら目の端に浮かぶ涙を止められないジョーカー。


どれほど冷静で、確信をもって突き進んでいるように見えても、
同時に彼は抵抗していたのだと(頭では理解していたつもりだったが)
改めて納得したのだった。
英雄視はしていない、と言いながら、私はやはり彼を英雄視していたのかもしれない。

**

事件以来、1年以上、見た目の生活は変わらないのに私の中身は完全に変わってしまった。
頭の中の優先順位の配分が全く入れ替わってしまった。
誰とも共有できないので、やはり、苦しい。

彼が彼の中の物語に導かれあの事件に至ったように、
私の中にも自分の物語があることに気づかされた。
彼の提示した物語(もちろん私の補正が入ってゆがめられている)
と私の中のどんな物語が強く響きあって、このような事態になっているのか。

最近社会物語学という視点から事件について書かれた文章も読んだが、
「物語」「ストーリー」というのは自分のこの状態を理解するために
手がかりとなる一つのキーワードではないかと感じている。


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