『アンダー・ザ・シルバーレイク』
タイトル:『アンダー・ザ・シルバーレイク』
監督:デビッド・ロバート・ミッチェル
あらゆる映画へのオマージュを詰め込んだ悪夢系ファンタジー?サスペンス?ミステリー?なんだろう?なんだこれは?的な作品。
ハリウッドの片隅で暮らす無職状態の30代青年サムは、何をするでもなく無気力に日々を過ごしていた。そんなある日、同じ集合住宅に住む謎の美女と知り合い急接近。翌日もデートの約束をするものの、彼女は忽然と姿を消していた。不可解な手掛かりを探りながら、サムは彼女の行方を追い始めるのだが……。
ギラギラとした色彩、どこかズレた人々、夜な夜な各所で開かれるパーティ、何の余韻もなく繰り返されるセックス……スクリーンには様々な場所や沢山の人物が登場するのに、狭いスタジオ内だけで撮影されているような閉塞感のあるのはなぜだろう。大きな夢を抱いてハリウッドにやってきた若者は、【成功者たち】を身近に感じながらも、決して彼らの側に行くことはできない。すぐそこにあるのに、どうしても触れられない壁。その向こうには何があるのか?何か、想像もつかない事実が隠されているのではないのか?恐るべき陰謀?世界を陰で牛耳る秘密組織?……この映画で描かれているのは、きっとそんな素朴な想像だ。
どう考えても現実逃避としか思えないサムの謎解きや、いかにも感満載な描写の数々に、途中まで「これはもしかして『ネオン・デーモン』系なのでは?」という懸念が生じたのだが、最終的な印象は全く異なるものだった。これはきっと、溢れるイメージを怒涛のように詰め込んだ映画であり、もっともらしい解釈を要求するような映画ではないのだ。むしろ、『レディ・プレイヤー1』みたいな作品であり、青年がハリウッドに憧れ、映画の世界を我を忘れるほど愛し、それでも現実を突きつけられるというシンプルな物語。追い詰められた夢追い人の毛穴という毛穴から噴き出したイメージが、極彩色の急流と化し、最終的に【現実】という海に流れ込んでいく。私とって本作は、そんな映画だった。
それにしても、なぜ私たちは世界には裏があると考えがちなのだろう。エヴァンゲリオンでいうゼーレのような存在を想像してしまうのは、希望なのだろうか絶望なのだろうか?『アンダー・ザ・シルバーレイク』は全く持ってリアリティのある作品ではないのに、私はずっとサムの気持ちが分かるような気がしていた。そして同時に、サムの愚かさにイライラしていた。もう思春期の若者ではない私は、都市伝説に興味を持ってしまう気持ちも、そんな気持ちが愚かで幼いということも知っているから。
いわゆる都市伝説というものに憧れてしまう人間の心理を体現している青年サム。私は、そのままのモードで厨二秒的に終わったら最悪だなと思いながら見ていた。しかし、最後の最後で思いっきり現実に突き落とす展開が待っていた。どん詰まりの自分の状況から目を背けて、都市伝説を追い求めていたサムに、頭から冷水をかけるようなラスト。なんだよ、面白いじゃないか。
『運命は踊る』は、非常に明確なテーマやメッセージを表現するために、緻密をパーツを組み立てて作ったような映画だった。対照的に、『アンダー・ザ・シルバーレイク』は、人間が持つ素朴な感覚や思い浮かんだイメージを詰め込めるだけ詰め込んでカラフルに色づけして、最後に笑いながら全部をぶっ壊すような映画だ。どっちもアリ。どっちも面白い。
ちなみに、『運命は踊る』のベストシーンは検問所でのダンスだったが、『アンダー・ザ・シルバーレイク』の個人的なベストシーンはピアノがが出てくるシーン。やはり、芸術のパフォーマンスを伴った表現は興奮させる何かがある。
あと、これでもかというほどに登場する名作映画へのオマージュも見どころのひとつ。観る人を選ぶ作品であることは間違いないが、これくらい自由にやり切った映画もたまには良いね。
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