それって学説?感想じゃね? その1 英語史の「時代区分」について考える
「英語史上の最大の学説対立があれば教えてください🙏日本史における邪馬台国の畿内説と北九州説のような…。」という私からの質問を取り上げていただいた。司会のまさにゃん、先生お二人にも「面白い!」と言っていただきほっ😌。
実は、ここ数年仕事の都合上、日本の古代史、とりわけ宗教、習俗について多くの書籍を読んでいた。お世辞にも面白い分野でないのに加え、閉口したのが説の多さである。とにかくあちこちに説が登場する。しかも、交通整理されずただ列挙されている場合が多く困った。説の中には「自分はそちらの説をとる」程度のものも多かった。
少なくとも学問の分野だ。説というからにはそれなりの根拠が必要だろう。また、それを掲載する研究者や学会には学説を整理、取捨選択することも必要ではないか?そんな不満を持っていたとき、生放送で千本ノックがあったので質問してみた。少々色合いは違うが同じ歴史ではある。専門家の生の反応も知りたかった。
もちろん、自分なりに学説の要件とはなにか、考察を進めていくつもりではいて、まずは事例として「邪馬台国論争」を取り上げようと考えていのだ。(この論争が日本史でもっともきちんとした学説が展開していると思っていたから)。
そんなおり、heldioがいい事例を提供してくれた。英語史における時代区分だ。
英語史の時代区分については、過去回(#618、#677)もあり、今回はその討論編という位置付けだ。英語史の時代区分について3人のkhelfメンバーが議論するのだが、聴いているうちに、この時代区分の考え方の違いは学説対立と言えるのでは?と気づいたのだ。というわけで、日本史の事例の前にまずはこの時代区分を深掘りしてみることにした。
この議論には次のような論点があるようだ。
1️⃣スタートをどこにするか問題
英語史の始まりをどこにするか?ストラングの「遡及的記述」に従えば、歴史にはじまりなんてないのだから、これはとてもアグレッシブな行為であり、そこには研究者の意気込み、研究姿勢が反映されるに違いない。もしかすると、それはよく言われるところの「歴史観」と呼ばれるものかもしれない(個人的にはその存在に懐疑的だが)。
では、英語史のスタートをどこにするか?どんな事件、切り口で主張が分かれているのだろうか?放送を聴くと、イ)ジュート人の侵入、ロ)文字資料の発見、ハ)はじまりを設定しない、が主なものとしてあげられそうだ。
→というわけでまずはこの時点でコメント投稿した。
「やあ、我こそは英語初級リスナーなり!」時代区分は歴史全般に共通。というわけで素 人ながら参戦!まず「英語史のスタートどこにするか問題。」これは時代区分の問題というより「自分の戦場どこにするか問題」であり、研究者の決意表明!?歴史は政治史、宗教史、美術史と色々でスタート地点も時代区分も違う。そんな中、英語史のスタートに「ジュート人の侵入」という政治を選ぶのは野心的な信長タイプ?文字資料の発見を選ぶのは身の丈を知る家康タイプ?。「歴史にはじまりはない」とスタートを無視するのは原理主義の謙信タイプ!(字数制限で削除)「やあ、我こそは・」khelfの皆さんならどんな名乗りをあげますか?
2️⃣「どこで、どう切るか」問題
時代区分のうち「はじまり」にひとまず決着をつけたところで、残りの時代区分について、「どこで切るか、どう切るか」問題に切り込んでいこう。「どこで(切るか)?」とは、切れ目なく続いている時代の流れのどこにメスを入れるのか?という問題。「どう切るか?」とは、どんな切り方をするのか?包丁のような鋭利なものでスパッと切るのか、あるいは手で引きちぎって断面が不明確な切り方をするのか?という問題である。
「どこで切るか?」については、古英語、中英語、近代英語、現代英語と、意見は概ね終息しているようだ。だが、青木氏のように、研究を進めていると「ここにどうしても線を引きたい」という思いも出てくるようで、「どこで切るか?」もそう簡単に終わらないようだ。また、「どう切るか?」は、具体的には「端数まで入れるか?」「数字を丸めるべきか?」という議論になって現れるようだ。
そうした主張の違いがなぜ生まれるのか?これから考えていくが、その前に、こうした議論においてよく姿を見せる「歴史観」(たまに人生観とか人生哲学)と言う概念について私見を述べておこう。議論の先が見えにくくなったとき、議論が迷宮入りしそうになったときに、この「歴史観」が姿を現しその場を収めてくれる。非常に重宝されるが、私はこの「歴史観」なるものに懐疑的である。「そんなものはない」とまでは言わないが、安易に使っていると思考停止に陥ってしまわないか?思考を深め、議論を重ね、それでも違いとして残ったとしたらそれが「歴史観」であり、本テーマ「学説」の要件ともつながると思う。
3️⃣「どこで、どう切るか」問題はなぜ生まれる?
さて本題に戻ろう。時代を「どこで切るか?」「どう切るか?」の違いはどうして生まれるのか?私は次のように考える。
(ア)「時代区分」の基準が不明確
「スタートをどこにするか問題」でも述べたが、「時代区分」を設ける際の基準が各自バラバラ。即ち、言語周辺に限定するのか?はたまた取り巻く環境(政治、文化、技術革新など)まで含めるのか?これをきっちり議論しておかないと「時代区分」の議論は堂々巡りをつづけることになるのでは?
(イ)「時代区分」の目的の違い
なぜ「時代区分」を設けるのか?その背景(目的)はいくつかあるだろう。当然、その背景によって「どう切るか?」「どう切るか?」が変わってくる。現時点でで考えつく「時代区分」の背景は、(1)研究上の要請(2)学習上の要請、(3)内発的な要請(研究の中から)の三つ。
(1)研究上の要請
歴史には本来切れ目はないが、研究を進める上で「時代区分」があると重宝する。研究を分業したり、議論したりする際、「時代区分」があれば何かと便利なので作ることを指す。この背景において「時代区分」に求められるのは、①そこそこの長さ(10年20年といった短期ではなく200年、400年)と②同じようなスパン(極端な長短がない)となり、それが主張の違いとなって現れているようだ。
(2)学習上の要請
これは研究者視点の裏返しとも言える、この要請の下では、主に、学習者の学び易さにとってどうか(覚えやすいなど)という点が主張の違いとなって現れるようだ。
(3)内発的に生じるもの
これは(1)(2)とは違う次元。研究において大きな変化を発見したとき、新たな「時代区分」を設ける動機が生じるだろう。これは(1)(2)とは異なり、その事柄の重要性が主張の大元となる。
3️⃣時代区分の議論の進め方
時代区分の議論をより充実させるためにはまず、(1)〜(3)のうちどれを優先するかを徹底的に議論をしてとりあえず結論を出す。そして、その優先順位を保ったうえで(1)〜(3)の個々において「どこを切るか?」「どう切るか?」を議論する。このような手順を踏むことで、研究者の個人的関心(研究分野)が議論に入り込む余地を減らし、もちろん堂々巡りを減らすことができるだろう。
そして、こうした手順を踏まえてもなお厳然と残る「違い」が残ったとしたら、それが「歴史観」もしれないし、「学説」と呼ぶにふさわしいものと言えるのかもしれない。
次回は、日本史の「鎌倉時代のはじまりどこにするか問題」を取り上げ、「学説」と言えるための条件を探っていきたい。
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