ストラング「遡及的記述」その2 公地公民制ってホントにあった?

 heldioでストラングの「遡及的記述」を聴いてすぐに浮かんだのが日本史。中でも古代の土地制度が頭に浮かんだ。班田収授の法とか荘園とか、あの地味で面白くないやつだ。日本史は基本的には好きだったがこの土地制度だけは別だ。

(1)娘の大学受験で日本史に再会
 数年前、娘の大学受験に伴走、何十年かぶりに日本史との再会を果たした。娘は日本史が好きではなかった。とりわけ、土地制度が苦手。苦労しているその姿に昔の自分を重ねた。そしてこの際、娘はもちろん自分も勉強し直したい(リベンジ?)と、参考書や資料集、YouTubeなどを調べに調べた。基本書は山川出版社の「詳述日本史研究」と「日本史資料集」。YouTubeもだいぶ見たが、土地制度になると、普段流暢な講師もトーンダウン、カンペに目を落とし、奥歯にものが挟まったようなトークになる。ある有名な予備校講師は「土地制度の説明が一番ムズイ。」と吐露していた。
 私だけではない。これだけ多くのつわものたちが苦労しているのだ。学習者側というより、教科書側、すなわち記述内容の方が問題ではないか?そう思いながら読み直してみると、「これって変じゃね?」と思うような箇所が山ほど出てきた。

(2)なんか変だぞ日本史の古代史!
 真っ先にあげたいのが「公地公民制」である。こんなことってホントにできたのか?ずっと有力豪族が所有してきた土地や人民を「乙巳の変」を機にぜーんぶ国のものにするなんてこと果たしてできるだろうか?秀吉のときの太閤検地しかり、全国津々浦々の土地や人民(戸籍)を把握することがいかに難しいか?もし、税を取りたいのなら、豪族にそのまま田畑や人民を所有させといて、彼らから税を取る方が断然合理的で現実的だろう。
 「班田収授の法」しかり。この当時の技術、交通網を考えると、人民を戸籍で把握した上で人民単位に班田を支給するなんてことができたのだろうか?事実、歴史の記述でもすぐに班田は行き詰まったとされている。
 さらに、その後班田の確保対策として現れたとされる「三世一身の法」。三世という所有期限が近づくと田地が放棄されるようになり失敗したとされるが、そんな事態は立法時点で十分予想されること。これは当時の人をあまりにもバカにした解釈である。また、「三世一身法」(723年)と743年の「墾田永年私財法」(743年)の間は20年。このわずかな期間に三世代が経過するとは!?いくら当時が短命だったとしても有り得なだろう。
 以上のように、このあたりの日本史はなんともちぐはぐ。が、そうこうするうち、娘の受験も終了。喉元過ぎればでこうした疑問もそのままお蔵入りか?と思いきや、今回のheldioに出会い、当時に気持ちが逆戻りした。

(3)ストラングのいう「遡及的記述」の衝撃
 ここでストラングの主張をおさらいしておこう。

 「英語(歴史)にはじまりはないという事実を伝えられる。時系列的に記述するためにはスタートラインが必要。ところがそれは厳密な意味では不可能なので象徴的な年代などをもとに「エイや」とやるしかない。それに対して、「遡及的記述」は、今をスタートとして太古へぼやーっと消えていくので人間の感覚に近く、何より嘘がない。」(再掲)

 このストラングの言葉は私にこんな仮説(厳密いえば妄想?)を立てさせた。以下、日本史の教科書を作るときの研究者たちのやりとりを妄想した。
 

日本史における本格的な政治のはじまり、律令制のはじまりはどこにするか?2人の委員の間で激しい議論が繰り広げられている。
A氏:「日本書紀」に「大化の改新の詔」の記述があり、そこに公地公民制や班田収授が記されているわけだから「大化の改新」において「公地公民制」が始まった、でいこう!
B氏 : しかし、日本書紀は史実を反映していない、例えば政権の意図が強く反映されていて真実性が薄い(天武天皇系の正当化、藤原不比等の意図など)とか。「大化の改新」だって捏造だっていう意見もある。
A氏  そんな身も蓋もない話をするなよ。そんなこと言い出したら教科書なんて作れない。史料にそう書いてあるんだからいいんだよ。清水の舞台から「エイやっ」って飛び降りるしかないんだよ。
 という場面を妄想してしまう。

(4)仮説を徹底検証
 以上のような私の仮説は、単なる妄想に過ぎないのだろうか?それを知るためには実際の教科書にあたってみればいい。というわけで、今回は教科書をより深く記述した山川出版社「詳説日本史研究」にあたった。「公地公民制」の箇所は次のようにあった。(p57)(なお「公地公民制」は「改新の詔」に登場。「改新の詔」の出所は「日本書紀」)

 「翌646年(大化2)年元日、4か条からなる改新の詔を発したと「日本書紀」は記す。この詔の信ぴょう性については、さまざまな議論が起こっている。「日本書紀」に記載されたままの詔の存在は疑わしいが、その基となる原詔が出されて、ある程度の改新の目標が示されてもおかしくない時代状況ではあった。ただし、どこまでが原詔の姿を伝えているかは難しい問題である。」「(公地公民制について)この当時このような改革を宣言したとは考えにくい。諸豪族の部曲・田荘の所有はかなり後まで認められているからである。」「第3条は戸籍・計帳をつくり班田収授法を行うことを定めたものである。これらの用語は、いずれも大宝令の修飾を受けている。東国国司が行った人口と田地の調査を踏まえて定められたものであろう。実際に戸籍が作成されるのは670年(天智天皇9)を待たなければならない。」

 まさか!やはり!そうだったのか!私たちは「大化の改新」や「公地公民制」を疑うべくもない事実として受けとってきたがそうではないのだ。これこそ、「はじまり」を設けなければならないという縛りの中で生まれたに違いない!記述中には、「(疑わしい)が、その基となる原詔が出されて、ある程度の改新の目標が示されてもおかしくない時代状況ではあった。ただし、どこまでが原詔の姿を伝えているかは難しい問題である。」とあるが、「で、どっちなんかい!」とツッコミたくなる。ともかくこれが教える側の現状なのだ。
 ついでにもう一つ。気になったのが「修飾を受けている」という表現。こんな曖昧な表現って学問で許されるの?実は、今回、日本史関連の本を読み漁る中で、「修飾を受けている」のほか「潤色している」という表現がよく使われることに気づいた。どれも文脈からすると「改ざん」と思われるのだが…?。
 このような独特な表現が生まれるのは、「はじまり」がなければ記述は始まらないとうという「時系列記述」の必然では?多少怪しくても「エイやっ」で定める。で、当然それはゆらぎがある。で、もし、それが間違いだったとすると、原因→結果の繰り返しという性質上、その後がドミノ倒しとなる。それだけは困る、だから、このような辻褄が行われることになるのだろう。
 
 さらに次回以降、「時系列記述」の問題点を現状の日本史を通じてみていこう。

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