英語史の輪#16 なぜお茶の間に届けたいのか?

heldio子が、なぜ英語史を面白いと思うのか?なぜ英語史をお茶の間に届けたいと思うのか?コアリスナーに向けて激白した。ポイントは5点。以下、それらを紹介しながらコメントを加えていきたい。詳細は購入のうえお聴きいただきたい。
①言語学を学ぶと人間関係が平和になる。
 人間関係を作り上げるのは言語。→言語の本質を知るとコミュニケーションが円滑になる。→世界が平和になる。個別の言語の習得ではない。あくまで言語学、英語史の追求。言葉の強さ、難しさ、危険性を知る→過大評価も過小評価もしない。傲慢にも卑屈にもならない。平衡状態が得られる、近づけるのでは?多くの人が知れば社会が豊かで平和になる→世界も平和になる。英語史をやっている一番マクロの意味での意義。
 umisio→連想 ディベートをやると謙虚になれる!
②学びの喜びを分かち合いたい。
 話し相手もこの分野を面白いと思っている。=楽しさを分かち合っている。コメントをいただくとより楽しい。これだけで完結。「umisioさんから『楽しみのおすそ分けですか。(#747の生配信回)』というコメントをもらった。まさにそういうことに近いのかな。」    
 umisio→感想 このコメントは、#747の生配信回の飲み会回において、heldio子が「最近は何か貢献したいという思いも…」と発言したのを受けて、「楽しみのおすそ分け」という表現の方が適切では?という趣旨でコメント送信。するとその場合がシーン。滑ったか?でも、きっと届くと思っていたら、こういう形で取り上げていただき嬉しい。私の学びについての基本的な考え方は、「楽しいから学ぶ」「やりたいからやる」。何がもたらされるか、役に立つとかどうかなど学ぶ側は予見などできない。だから、「貢献」という言葉もフィットしないような。とにかく、「楽しいからやる」が一番いい!
③死ぬまでやってられる。(生きている限り楽しみは終わらない)
 絶対にゴールにたどり着かないという安心感がある。死ぬ瞬間まで楽しめることが保証されている。ゴールにたどり着こうとしている過程が楽しい。食べても食べてもお腹が減り続けるような。贅沢で欲張り?
 umisio→アルキメデスの死に際のようだ。敵兵に殺されるまで地面に円を描いて数学していたという。最期まで自分の好きなことをやりつづけられる、これに勝るものがあろうか!
連想①遠足は前日までが楽しい。②千本ノックの楽しさ(答え出なくても楽しい)もこれに通じるのでは?
④英語史の分野、学会に恩返しをしたい。
 面白い分野で挑戦させてもらっているが、この舞台は先達が作ってくれていたから。自分もそちら側に回る時期になった。バトンタッチしていきたい。
 umisio→②で取り上げていただいた「楽しみのお裾分け」の出番である。
⑤回す仕組みである。(これが5点目?)
 多くの人に届けてさらにフィードバック。この循環を通じて英語史の輪も大きくなり…お茶の間に届けることでさらに多くの人に届けたい。
 umisio→「お茶の間に届ける」の意義に補足したい。

「お茶の間に届けるとは?」by umisio 
 昨年の12月#565。heldioの導入コメントに「お茶の間に届ける」が加わった。最初に提案があったときは「ビンゴ!」とコメントしたものの、「お茶の間は少々大胆すぎるか?」とも感じていた。というのも、私にとっての「お茶の間」とは、ちゃぶ台を家族で囲んでいるイメージ。そこに英語を感じさせるものはひとつもない。だから、「さすがにそんなところに英語史を届けるのは無理なのでは?」となったが、すぐにこう考え直した。たしかに、「英語史それ自身を届けるのは難しいかもしれない。」だが、「英語にはこんな学び方もあるんだよ。」「英語を喋れなくても楽しめるよ。」といったメッセージを伝えることであればできる。heldio冒頭の「お茶の間に届けます。」を私はそうとらえている。

追加。以上の5点以外にもう一つあったようだ。
 今までこうした活動はなかった。ブルーオーシャン。自由に泳ぎ回れる。そもそもみんなが関心をもつ分野ではない。少しずつ輪が広がるのを楽しむ。
 umisio→大賛成!👏

以上、「ヘルワ〜」 

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