現代日本史の問題点を探る〜時代区分・鎌倉時代の始まりは?本郷和人著「日本史の論点」から〜

 以前、学説とは何か?を「鎌倉時代のはじまりはどこか?」という論点から検証してみた。そのときの内容は次のとおり。

 この中で鎌倉時代のはじまりをいつにするか?の議論、学説がいかにいい加減であるかを指摘したのだが、本郷和人著「日本史の論点」を読んで驚いた。私の述べたことが予想的中というわけではないが、この議論の背景に魑魅魍魎とした何かがあることを指摘している点において共通していたのだ。
 本郷和人氏は現在、東京大学史料編纂所教授。専門は日本中世史である。あけっぴろげな物言いは研究者にない親しみやすさがありテレビでもお馴染みである。最近ではポッドキャストの名物番組「コテンラジオ」にも出演、従来の研究者とは異なる視点でリスナーを大いに楽しませてくれた。と、紹介する割には氏の著作については心細い。NHK大河ドラマ「鎌倉殿と13人」関連で北条関連の著作を2、3冊読んだ程度だ。
 が、今回はheldio#ストラング著「the history of  English」を契機に現代日本史の問題を検証する中で、改めて本郷氏の著作数冊を図書館から取り寄せて読んだ。結果、大収穫だった。その中の一冊が今回取り上げる「日本史の論点」である。
 今回紹介するのは第二章「鎌倉幕府の成立年次を探る」である。本郷氏が某テレビ番組の制作に関わったときの話だ。番組の趣旨は歴史研究者同士で一つのテーマについて議論を戦わせるというもの。第一回は「鎌倉幕府は1192年にできたのか?1185年にできたのか?」。「これは白熱した議論になる!」と本郷氏はワクワクしながら「この人は1192年説の支持者だろう」「この人は1185年説の支持者だろう」と目星をつけながら研究者に声をかけていくのだが、ことごとく「自分はそうではない。」という答えが返ってきたのだという特に、新しい定説となった1185年説を支持する研究者がなかなか現れない。これには正直驚いたとのこと。
 そして、本郷氏は次のようにつづける。

 ならば、なぜ1185年説が鎌倉幕府成立年の定説とされるのでしょうか?そもそも日本史の定説はどうやって作られるのかというと、実は山川出版社という特定の出版社が出している歴史教科書に書かれた説が、定説だという扱いになるのかもしれません。山川出版社は歴史の教科書の全国シェア最大を占める業界のガリバーです。もちろん山川出版社意外にも教科書を出している出版社はあるのですが、二位の東京書籍や三位の実教出版の教科書はどちらも山川出版社には遠く及びません。だから、山川出版社の教科書に載った説は日本史の定説であるという扱いを受けます。
 では、誰が山川出版社の教科書を書いているかというと、東京大学の日本史研究室の先生方です。非常にいやらしい言い方ではありますが、東京大学日本史研究室の先生になるということは、この学問のトップに立つのと同義だと目されています。なぜかというと循環論法になってしまいますが、山川出版社の教科書を書くことができるからです。余談ですが山川出版社の教科書はシェアが多いので、買ってくれる学校も多く、出版部数が多いので印税もたくさん入る。そう考えると山川の教科書執筆は先生方にとって、とても良いアルバイトになっています。

本郷和人「日本史の論点」(扶桑社新書)

 冒頭で本郷氏の言い分と私の論に共通するものがあると述べたがこの部分がそれだ。先にリンクを貼っておいたが、改めて私の論の該当箇所を紹介すると、

なぜ今回その基準を変更する必要があったのか?全く見えてこない。それまではトップの態様を基準として、頼朝が幕府のトップに立ったときを鎌倉幕府の成立としていた。ところが今回、突然「支配の態様」に基準が切り替わりこの事態となった。時代区分を定める基準は法律の世界でいえば「憲法」のようなもの。コロコロ変えるものではないし、変えるとすればに研究とは切り離してきちんとした議論を経るべきだ。
 ところが、教科書他の関連書籍をみてもそうした議論があった気配はない。つまり、基準についての議論をしないまま違う基準に乗り換え、「守護地頭の設置をもってはじまりとする」という考えが採用されたようだ。もしこれが許されるなら、今後も研究者の鶴の一声で変更されることがあるだろう。こうした状態は、研究者や学習者にとっても決して好ましい状況とは言えないし、頻度が高くなれば教科書の改訂などの多額の財政負担を伴うことになろう。

 2人の言い分を合わせると、東大の先生たちと歴史出版社大手がなんらかの意図をもって鎌倉幕府の成立年度を変えたのではないか?となる。表面上の学説対立に目を奪われているうちに、いつの間にか定説が代わっている、ということになりかねない😱

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