見出し画像

【エッセイ】その未来の向こうまで

 心の病というものが広く世間に認知されるようになって、どれくらいの時間が経ったのだろうか。否、今も認知などされていないのだろうか。私には分からない。

 私がメンタルクリニックに通院するようになって長い時間が過ぎた。あっという間に駆け抜けたようにも思う。その時間の中で、私は常に心の病と共にあった。仕事、趣味、家事。全てに病は付き纏っていた。

 心の病のことを、風邪のようなもので誰でも成り得るものであると評されているのを聞いたことがある。メンタルクリニックに通院を始めた当初、私は自分が精神を病んでいるとは認めたくなかった。そんな私のことを、前述の言葉は慰めてくれた。だが、今は思う。本当に心の病は誰もが成り得る、風邪のようなものなのであろうか、と。

 風邪は完治する。市販の風邪薬、抗生物質などを服薬し、栄養のあるものを食べ、良く寝ていれば治るものだ。だが、心の病はどうだろうか。いわゆる特効薬というものは存在せず、良く休むようにしていても症状が落ち着くまでに何年も掛かるケースもある。そもそも完治するものなのだろうか。私が主治医に言われたのは、完治は難しい、寛解という状態に持って行くことを目標としようという言葉だ。寛解とは、症状が表に出て来ないことを指すようだった。つまり、治ったということではない。あくまでも症状が表面化していない、そしてそのまま落ち着いている状態のことだ。私はこの時、いつかきっと治ると信じて通院、服薬していたので非常に大きなショックを受けた。

 私の症状には起伏があり、その起伏というのは非常に山と谷の数が多い。一日の中で何十回も体調は変動し、少し活動をすると疲れて横になってしまう。雨が降れば寝込んでしまうし、長時間、一人で外出をして疲れが大きくなると、自分の家の場所や年齢がぼやけて来る時もある。好きなことをしていても疲れやすいし、長時間、集中して何かを行うということが非常に難しい。一度、こうだと思い込むとそこで思考が固定化されてしまい、修正が難しい。決まった時間に決まったことをするのが難しい。他にも多々あるが、このような症状、性質が私の中に息づいている。

 薄暗い感情について思考したことは、過去から現在までの間で数千回を超えていると思う。もうそれしか考えられず、真っ暗な部屋でそれのみを思考し続けることが本当に数え切れないくらいにあった。そのたびに友人に話を聞いて貰った。だが、一概にそうとは言えないが、私のこの病気、性質のせいで私から離れた友人がいることも事実としてある。私は友人も大切に出来ない人間なのかと、ひどく落ち込んだことも何十回もある。

 どんなに綺麗事を並べても、私が心の病であるという現実は事実としてあり、取り繕うことの出来ないものだ。希望が一切ないとは言わない。だが、今も私の心の底には絶望があり、そこに自らが囚われないように必死に前を見て生きている。

 私は、自分を救う者は自分だけだと思って生きて来た。自分がなりたい者になり、夢を叶えた時にきっと自分は救われるのであろうと信じてやって来た。しかし、近年になって思う。私は、誰しも人に救われるものではないだろうかと。私のことを救うのは私自身であると共に、きっと大切な友人であるのだろうと。私には友人がいるのだ。私の喜び、私の悲しみを聞いてくれる友人がいる。それはささややかなことであり、とても重要なことであると私は思う。

 学校という世界を抜け出せば、人は皆、自分自身の世界に向けて歩き出す。仕事であったり、趣味であったり、家庭であったり、それは様々だ。そのような中で、毎日のように友人と会っていた学校生活のように友人と連絡を取り合うのはなかなかに難しいだろう。今では携帯電話、スマートフォンが普及し、多くのSNSもあるが、電子の世界だけで終わってしまうのではなく、実際に会って話をすることの出来る関係性、時間というものを私は重要視している。

 過ぎし春頃から外出自粛が叫ばれ、多くの人に影響が出たことと思う。会いたい人に会えないという事態に陥った人もいただろう。私もその内の一人だ。家にいる時間が増えた日々の中、活躍したのは電話やメールなどだ。先程、電子の世界にやや否定的な意見を述べたが、電話の向こう側には確かに人が存在していて、そういった意味では人と人を繋いでくれている携帯電話に私は感謝しきりである。落ち着いたらまた友人に会いたい。私は、そう思っている。

 私は精神の病気を抱えているが、誰しもが何かしらを抱えて生きていることと思う。晴れの日も雨の日もそれはその人の心の奥底にあり、少なからず当人に影響を与えていることだろう。その中で、仕事、家庭、夢――それぞれに向かって常に前を向き続けることは難しいことかもしれない。私は自分自身のことを投げ出してしまいたくなることも何度もあった。そのたびに思い留まって来たのは、自分に自分の望む未来を見せたい、夢を叶えたいという思いだ。そして、大切な友人と共にこれからの時間を過ごして行きたいという願いだ。これまで、どんなに希望を持っても私はもう全てをやめたいという瞬間は数え切れないくらいあった。だが、せっかくここまで来たのだ。もう少し、もう少しだけ歩いて行けば夢を叶えた未来に出会い、友人との楽しい時間を続けて行ける。そう、私は思っている。何もかもがうまく行くことはないかもしれないが、現在の私は自分のこれからに希望を見出している。そうなることが出来たのは自分自身と、友人のおかげであることは確かだ。

 私に出来ることは少なく、ささやかかもしれない。それでも、夢を叶える為に努力して行きたい。そして私を助けてくれた友人の力になりたい。人に、優しくありたい。私は自分の抱えているものに戸惑うことはあっても、これからも前を見て歩いて行きたい。その気持ちをここに残す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?