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【エッセイ】私の明日を迎える為に

 自分の病状について調べたり考えたりしすぎると、頭の中にもやが懸かったみたいになってなにもしたくなくなる。ずっと寝ている。それもつらいけれど。数日前にそうなってしまい、ひたすらに寝て過ごした。私はもしかしたら普段、現実検討能力に欠けがあるのかもしれず、だから明るく生活出来ているのかも。

 冷静に考えて、つらすぎる期間が長かった。楽しく過ごせたはずの時間が虚無だった。遮光カーテンを閉めて明かりも点けずに横になって薄暗い思考を繰り返している日々。クッキーとかつおぶしと水で過ごして栄養失調になったり。判断力の低下。対人関係は長続きしないし、急に全てシャットアウト。

 どう考えてもつらい。私も周りも。通院しても良くなっている気配がしなくて疑心暗鬼になるし、自己肯定感は下がる一方。趣味のことをしてもあまり楽しめず、だんだん無気力になり、引きこもりがちに。騒音により目眩が起きるようになったりもした。

 騒音のひどい以前の家からいまの家に引っ越して、静寂を手に入れて、目眩が治まった。稀に騒音がある日もあったが、頻度が低いので我慢出来た。雨漏りには驚いたが直して貰えた。対人関係において他者に依存的になったり、急に交流を終わらせてしまったりしたのは後悔している。

 やがて、自分のパソコンを得て、黙々と小説を書き始めた。当時の作品は、そこはかとなく暗い物語が多い。PS2でゲームを再開した。漫画を読んでアニメを観た。趣味のことを少しずつ楽しめるようになった。通院は途中で数ヵ月行かなくなるなどを誤った自己判断でしてしまうことがあった。

 しかし、服薬を一時的にでもやめると体調悪化に繋がると分かり、継続的に通院と服薬は続けるようになった。一度、気分が落ち込むとげんきになるまで時間は掛かるが、日常生活は以前の家にいた頃より生き生きと過ごせるようになった。ただ、他者の存在や視線が怖い。

 買い物は好きなのだが人間が怖いので、引きこもりがちになる。一時期は買い物に行くげんきがなく、食料品の宅配サービスを利用していた。そこからだんだんとげんきが出て、宅配サービスはやめて自分でスーパーに行けるようになったことは嬉しく思う。

 病状や症状を数えるとおそらくかなりあるのだが、良くも悪しくも私本人が現在は病識があまりなく、事態を楽観視している傾向にあると自己分析している。自宅で過ごしている分には気持ちは明るく穏やかで、小説を書いたりゲームをしたり読書をしたりしている。家事に若干、疲労が生じる。

 去年の半ばから今年の初めに掛けて、定期的に外出する場を作って通ったのだが、強い疲労と、歩行時に目眩や浮遊感や傾きが生じるようになった。回復が見られなかった為に通うことをやめた。目眩止めを服薬し、通うことをやめてから三ヵ月程で歩行時の目眩などはなくなった。

 私の明日はいつ来るのかと思ったり、早く作家か何者かにならなければという焦りはあるのだが、自分の体調を自分が良く見て把握することを意識しながら夢を追い掛けているのが現状。体調を崩した人間は社会に戻れず、社会不適合者として他者に迷惑を掛け続けるのかという葛藤がある。

 派遣社員を繰り返してしまった為に職場を転々としている経歴書が出来上がってしまっているし、病状が複数あって体調が基本的に良くはないし、このまま私は何処にも行けないのかという深い悩みもある。去年は私の小説を読んで頂けた企業から仕事のオファーがあったが、書類選考で不採用になった。

 私は一体、なんだろうと思い悩む日もあるが、思い悩み過ぎると前述したように無気力になり寝てばかりいるようになる為、心にも体にも良くない結果になる。なるべくフラットに過ごすことを意識している。作家志望なのでエピソードや感情を作品に還元出来ると考えており、その点ではお得だと捉えている。

 目下の目標は作家になることで、様々なコンテストに小説やエッセイを応募したり、投稿したりを繰り返している。それを私自身が幸福と捉えている。自分の体調を見ながらの生活だが、友人などが助けてくれていることがありがたい。失ってしまった友人には悔悟が尽きない。

 いまがいちばん、私は楽しい。小説やエッセイを書けること、ゲームや読書が出来ること、紅茶を淹れて飲めること。そういったことが可能な今日まで体調と心を導けた自分が嬉しく、医師や友人や親戚に感謝している。これから先もおそらく長い間、体調や病状とはうまく付き合う必要があると思う。

 なにがあるかは分からないが、それは誰しもそうであるので、これから先に悲観的にならず、自分の出来ることをなるべく精一杯、おこなって過ごして行きたい所存だ。

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