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【日記】春、旅立ちの季節

 本格的に休息期間に入る為にいまの場所に別れを告げるかどうか、ここのところずっと考えていました。休んでいても、心は休まりませんでした。友人や親戚や医師に話を聞いて、私自身も自分と会話をして良く考えました。きっと、どちらを選んでも後悔はするし、つらい気持ちにはなるのです。続けても、辞めても。体調さえ良かったらきっと私は続けていたと思います。ただ、今日の外出でも歩行時のふらつきや浮遊感はあって、とても不安になりました。注意力の低下からか、先日に車に接触しそうになったことも未だに怖い気持ちでいます。

 私は、いまの場所を辞めることにしました。先方との話し合いの場に行って、その旨を伝えようと思います。

 私の外見上はげんきそうに見えると思いますし、事務処理能力が特別に低いわけではないと思うので、問題なくこなしているように見えるとは思います。けれど、帰宅後にほとんどなにも出来なくなってぐったりしていることが多く、自分の中では「割と無理をして頑張っている」感は否めませんでした。でも、自分の希望する未来に行く為に努力を続けたい。そう思って、苦手な電車に乗って通っていました。私はきっと、自分が思うよりも大きな力を使って頑張っていたのだと思います。

 神経を張り詰めさせて、外界の場にいて色々なことを頑張っていたのだと思います。いつもいつでも緊張していたように思います。せっかく色々なことを覚えたのに、ここで去るのは勿体無いなとか、つらいなという気持ちは強くあります。後悔は、きっとすると思います。それでも、ここで辞めないと寝たきりになってしまうかもしれないという恐れが自分の中にあります。現時点で生じている、歩行時のふらつきや浮遊感から、いつも以上に外出を減らして生活をしています。それだけでも私は不安です。原因が分からないことも不安に拍車を掛けていると思います。その程度で、と思う方もきっと外界には沢山います。もっと頑張っているひともいる、と思われる可能性もあります。けれど、最終的に私を守れるのは私しかいないのです。私がいまここで、「休む」という判断をしたいと思っているのです。それで充分だと思います。

 いつか、この判断をした日のことを後悔するかもしれません。いつかとは言わず、先方に伝えた瞬間からそれは生じるのかもしれません。またうまく行かなかった、諦めてしまった、体調を崩してしまった。そういう思いでいま私の中は一杯です。つらい思いでいます。この判断が正解なのか、冷静に出来ているのか、自分自身でも分かりません。でも、「休む」と私が決めたいのです。

 何者かになりたい。その思いはずっと前から抱えて来ました。何者かになる為に、通っていた外界の場所でした。だからこそ、ここで去ることはとてもつらいです。けれど、少なくともいまの私には継続は難しいと思います。様々なことを様々に考えて決めました。

 三月は、旅立ちの季節。私は違うことで自分を自分らしく生きて行けるように、歩いて行きたいと思います。

 ここで記事は完成としたのですが、読み返していて泣きそうになってしまいました。やはり、きっと、つらいのだと思います。それでも自分で決めたことです。私は私の季節を迎えることが出来るよう、ゆっくりと歩いて行きます。

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