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【エッセイ】真昼の月やバスタブの蓋に思うこと

 本日、午後三時に入浴しました。バブのお風呂です。バブがいちばん温まる。そんな風に私は思っています。

 バスルームの天井にまるい照明が付いているのですが、それを眺めながら入浴していることが多いです。真昼の月のように思えて、なんとなく気になって眺めてしまうのです。バスルームに月があるわけはないのですが、なんとなく、なんとなくです。

 爪のケアでもしながら入浴しようと思っていたのですが、お湯の温度が高すぎたようでそんなことは出来ないままぼんやりと入浴していました。冬場のお湯の温度を四十三度にしているのですが、そのままの設定で入ったら今日はとても熱いお湯で暑い思いをしました。次回は一度、下げてみようと思います。四十二度でも高いとは思うのですが、バスタブの蓋がないので、お湯を張っているそばから冷めて行く気がして高めに設定しています。蓋を買いたいなと思っていた時期もあったのですが、なくていいやという結論に至っています。

 真昼の月やバスタブの蓋のように、なくてもなんとかなるというものや事象は多い気がします。それがなくても、なんとかなる。そんな場面は多々あるように思います。でも、それがあるとより良いパフォーマンスを発揮出来るという場面もあると思います。私にとっては紅茶かなと思っています。紅茶を飲みながら執筆をしている時間が大好きなのです。しかし、紅茶でなくて、水でも執筆は出来ます。けれど、なんとかはなるものの、より良いパフォーマンスには繋がらないのです。私は。

 役立つかどうかの問題ではなく、道端の花のように、其処に在るだけでひとの気持ちをそっと照らしてくれるものもあります。この時期はたんぽぽが私にとってはそうです。小さなお日様のような黄色いたんぽぽの花を見ると、頑張って咲いていて偉いな、私も頑張ろうと思えます。たんぽぽは其処に在るだけで、私を励まそうと咲いているわけではないと思いますが、それでも力を貰えます。

 無機物も有機物もひとも植物も動物も、なにかしらの意味を持って存在しているように思います。私もひとに生まれたこの命になにかしらの意味を持たせたくて、作家を目指して小説を書いているように思います。自分の存在のことや、周囲の存在のことに耳を傾けながら生きて行きたいです。

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