見出し画像

【エッセイ】約束

 私は、いつも探し物をしている。今日も旅に出る、そんな気持ちで私は玄関のドアを開ける。探し物は複数あった。それは飲みたい紅茶であったり、読みたい本であったり、季節の花であったり、様々だ。私は私の日常の中に、いつも小さな光を求めている。

 私は私と約束をしている。もう十年は前からの古い約束だ。私は一日の終わりに、その日の自分を振り返る。そして、満足や後悔と向き合う。そして一日を暮らした自分自身を、明日の自分へと渡す。リレーのバトンを渡すように、私は私を明日へと送り出す。どんなに投げ出したい日が来ても、私は私を未来へ送る約束をしたのだから。

 私が病気になってから、もう十年以上が過ぎた。その時間は、私を摩耗させるには充分過ぎるくらいのものだった。子供の頃の私は、こんな未来など思い描いていなかった。叶えたい夢を叶え、大切な人達と寄り添って生きている自分を漠然とだが夢にみていた。

 だが、大人になった私には、「病気の私」がいつも影のように付いて来た。太陽の光の下でも、月の光の下でも、それは私と共にあった。可視化出来ず、起伏を持つ病状に私は有り体に言えば苦しめられた。

 やがて私は惰性で通院するようになり、治る日など、とうに諦めてしまっていた。私一人がつらいわけではない、いつか治るかもしれない、私がいなくなれば友人が悲しむだろう。これらの心情を何百という回数、繰り返し織るように考えては細い糸を頼るように生きて来た。

 だけど、もうやめてしまおうか、とも幾度も思った。小説などで良くある表現だが、「世界に色がない」のだ。色は確かにこの目に映り込む。だが、その事実だけで人は世界を、日常を認識しているわけではない。そこに確かに息づく感情が、心があってこそ、人は人として生きて行けるのだろうと思っている。当時の私にはそれが欠けていた。探し物もなく、何も求めてはいなかった。足りないものなど何もない。その認識すら、存在しない。私は、ただただ生きていた。

 ある日、私は主治医に投げ遣りに尋ねた。私の病気は治らないのでしょうか、と。すると医者は私が思った言葉とは違うことを言った。私は、いつか治りますよ、だから頑張りましょうと言われるのだろうなと思っていた。だが、実際は違った。主治医は言った。あなたの病気は完治は難しいでしょう、と。医者は続けた。寛解かんかいという言葉があります、と。病気の症状が落ち着いて、表面には出て来なくなる状態のことです、と医者は私にゆっくりと説明した。だから、そこを目指してやって行きましょう、と。その瞬間、私はとても大きく絶望した。ああ、完全には治らないのだ、と。この日から私は、探し物をする日々を始めた。私が實解という言葉を受け入れられたのは、この日からずっと後のことだった。

 厳密に言えば、医者の言葉が私に絶望を与えたわけではないと思っている。そして、私の全てを救ったわけではない。自分を救うのは自分だと、私はきっと心の奥底で思っているし、人間の作りはそこまで単純ではないだろう。だが、確実に私は変化して行ったのだ。

 私は私と約束を結んだ。今日の私を、きっと明日の私に届けようと。それは私にしか分からない、私と私の約束だった。以来、私は約束を守り続けて、此処にいる。私の日常は狭く小さいものかもしれない。それでも確かに私は此処にいる。此処にいた、といつか言えるように私は今日も足跡を残す。その軌跡を残す。まだ見ぬ未来にいる私との約束を、今日も私は守って行く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?