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【エッセイ】未来に繋がる日々

  誰だって何処か遠くへ行きたい気持ちがあるかもしれない。もう此処にはいたくないのだと。だが、何処かで読んだ本にあったように、自分というものは何処に行こうとずっと付いて来るものだ。月のように、影のように。しかし、それを理解していたとしても私は――人は何処か遠くへ行きたいと思うものなのだろう。

 私が精神面での病気になって、もう長い時間が過ぎた。精神の病気は珍しいことなど無くて、誰しもがかかる風邪のようなものなのかもしれない。実際、そう書かれた本を読んだことがあるし、主治医にも「誰しもがなる可能性はある」と言われた。だが、私は初めはその意見に頷きもしたものの、年月が過ぎて行くにつれて「本当に風邪のようなものなのだろうか」という思いを強くして行った。

 日毎ひごと夜毎よごとに変化する自身の体調、病状に疑問が深くなって行く。本当に風邪のようなものだとしたら治る筈だ。だけど、一向に完治する様子が無い。服薬し、体調管理に気を付けても症状が悪化する日は沢山あった。薄暗い思いに心が支配される回数も多くあった。悪化し、回復する。そしてまた悪化する。化膿した傷が、いつまでもいつまでも治らない。そんな毎日を私は過ごしていた。

 ある日、主治医は言った。寛解かんかいを目指して行こうと。病気とは上手く付き合って行こうと。私は、そんな言葉の為に此処まで歩いて来たわけでは無かった。寛解とは、症状が表に出て来ない状態のことを指す。ただ、表に出て来ないだけで根底に病は眠っているのだ。いつ、揺り戻しがあるとも分からない。そんな不安のある状態を、私はずっと抱えて行くのだろうかと考えると、とても投げ遣りな気持ちになってしまった。どれほどに通院し、服薬し、体調に気を付けて過ごしても、完治はしないのかと。私はこんな思いをする為に生まれて来たのかと。主治医にも友人にも言えない思いを持って、私は判を押すような単調な日々を繰り返して行くしかないのかと悩んだ。

 もし、私が病気にならなかったら。もしもの話は大抵において意味が無いことは分かっている。だけど、と思う。元々、持っている喘息だけで、精神の病気に罹らなかったのなら。仕事も趣味も睡眠も、全てにおいて私は私の力を発揮出来たのかもしれないと思う。勿論、健康であっても何もかもが上手く行くわけでは無いだろう。悲しみ、失敗、後悔。そういったものは誰にでもあるものだ。私が健康であっても、きっとそれはあっただろう。けれど、精神面でのひどい落ち込みが無く、薄暗い思いも持たず、決まった時間に起きられないとか満員電車が苦手だとか同時進行作業が苦手だとかが無かったなら。私は自分の夢に向かって、もっと誠実に、もっと素直に歩いて行けたのかもしれないと思わずにはいられない。

 いつだって体調が私に付き纏う。今日はこれをしたいと思っても、雨が降るだけで頭痛を抱えて寝込んでしまう。明日の予定はこれだと思っても、当日に何だか気持ちが塞いでしまい、予定をこなせない時も多い。小説を書くことが大好きなのに、何も書けない日もある。それを私はやる気が無いのだろうかとか、甘えているのだろうかとか様々に思い悩んだ。一年という期間の中で、私が小説を書かない日、体調の良くない日は本当に多くあった。今日は体調が良いなという日は数えるくらいだった。仕事も趣味も家事も、もっと多く出来たなら。そうしたら私は他でも無い私に幸せを差し出せるのに。ずっと、そう思って過ごして来た。それは今も変わらない。

 事を忘れやすい性質を気に病み、書きたい物語すらいつか忘れてしまったらどうしようと思い、もっと沢山の話を書き残したいと願う。それを病気が、体調が阻む。ゲームが出来るならもっと働ける筈、もっと小説が書ける筈と言われたこともある。社会貢献度が低いと言われた事もある。私は叫び出したかった。主治医の言うように精神の病気が誰しも罹るものであるなら、私はどうしたら良かったのかと。

 無理をすればすぐに体調を崩し、寝込んでしまう自分が本当に嫌で、だけど、どうしようも無かった。春、夏、秋、冬。季節がどれだけ巡っても、私一人、何処かに置き去りにされたような心持ちでいた。桜が咲き、蝉が叫び、イチョウが色付き、雪が降っても。私一人、何者にもなれなくて。無理をして仕事をしても、意欲を持って執筆にあたっても、本当になりたい自分自身に出会えない。得られない。このまま一体、私は何処に行こうというのか。何処に向かっているというのか。

 たとえば精一杯やって作家になれなかった未来、自分を迎えるのならばそれは受け入れるしかないだろう。仕方が無い、そう思えるだろう。だが、もしもこのままのペースでしか私は小説を書けないのであれば、きっと寿命を終える時に後悔するだろう。何故、もっと書かなかったのか。書けなかったのか。それは意欲の問題なのか? 否、病気の問題だと私は思っている。だが、たとえそれが真実であろうとも、夢を掴む者になりたいのならば私は小説を書くしかないのだ。頭の中に溢れ返る物語を文章として打ち出さなければ、それは誰の目にも触れることの無い私だけの空想物語として終わってしまう。消えてしまう。そんなことは私は許せなかった。私が作家になれないとしても、私は私の出来る精一杯をやったのだと自分自身に誇れる結末を迎えたい。しかし、それは今のままでは難しいだろう。きっと私は後悔する。もっと書きたかった、と。

 この梅雨が明ければ、雨が上がれば。低気圧も去り、私の体調は少し良くなるだろう。私は自分の望む未来を見たい。小説を書きながら日々を過ごして行きたい。好きな紅茶を飲み、好きな音楽を聴いて。季節の移り変わりを見つめて。そして、人に優しくありたいと思う。


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