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ツツジが満開で嬉しい、今日この頃。春です。 子供の頃、ツツジの花の裏から蜜を吸ってい…
二回ほど、片付けが苦手ということについて記事を書きました。それから、やはりと言うかあま…
私は、いつも探し物をしている。今日も旅に出る、そんな気持ちで私は玄関のドアを開ける。探…
今月に誕生日を迎える。あっという間に駆け抜けた一年だった。誰しもそうかもしれないし自分…
本日、午後三時に入浴しました。バブのお風呂です。バブがいちばん温まる。そんな風に私は思…
母が作ったうどんを、ふと思い出した。煮込みすぎているのか、くたくたの柔らかいうどん。そ…
迷っているというのは出口を探しているということだ。自分の中でだけでも、答えを出したいということだと思う。 座り込んでいる時やひたすらに寝ている時でも、きっとそれは必要な時間で、ある意味で迷っているのだと思う。 二〇二三年の三月九日、私はそう書き残していた。この時の自分が出口を探していたのかどうかは覚えていないが、きっと私はいつでもなにかを探し、どこかへ行こうと道に迷い、時々の決断に迷っている気がする。座り込んでいる時やひたすらに寝ている時を過ごしながらも、きっと私はそう
一般企業という表現が正しいかは分からないけれど、私は一般企業で働くことが難しいのかもし…
むかし、花壇に咲いている葉牡丹を見て「キャベツだ。いつか食べよう」と思っていたが実行は…
医師にも指摘されているのだが、私にはあまり病識というものがないらしい。確かに家事があま…
もともと私はSNSやnote上で、ほとんどのことがうまく行っている風を装っていました。嘘を書…
私は、作家を目指すことを気持ち新たにしています。これまで通り執筆活動を続けて行くことは…
今日も暖かい日でした。 (「あたたかい」という言葉は平仮名表記が好きですが、「さむい」…
私は、日々の中でふと不安に駆られて振り返ることがある。振り返った先になにかをきっと探しているのだろうと思う。それはむかしの思い出だったり、懐かしい友達だったり、おいしかったお菓子だったり。宝物のような記憶の中に自分の姿を見付けて、ああ、こんなこともあったなと思い返す。 連綿と続いて来ている自分というものを、ふと振り返る時、どこかになにかを置いて来てしまったような感覚を覚えることがある。それはむかしの思い出だったりするのかもしれない。宝物のような記憶が少し足りない気がして