夏祭り


「やっぱり人、多いな」
 頭ひとつ分上から声が降ってくる。隣に並んで歩くのは、十年来の幼馴染の勇次だ。
「そうだね」
 コロナによる規制が緩和されたこの年、例年通りに行われた夏祭りに二人で来ている。去年よりも圧倒的に増えた飲食物の屋台、小さな子どもや高齢者の姿。祭りの終盤に輪になって踊るのであろうお揃いの浴衣を着た初老の男女のグループ。それらを見るともなしに見ながら、通り過ぎる。
「あ、リン。わたがしあるぞ。好きだったよな」
「うん、食べたい。買いに行こ」
 勇次に手首を引かれ、わたがしの屋台の前に出来た列を目指す。屋台は向かって通路の右側にあって、祭り客達は去年までの通行規制の癖でか、ほとんどの人が左側通行で動いている。その為、人々の流れに割り込んで進まないと行けないが、背の高い勇次が前に立って歩いてくれるお陰で、ぶつからずに済んでいる。こうしていると彼女になったみたいだなあ、なんて思うと、つい唇が綻んでしまう。
 広い背中から目を逸らすと、勇次の太くて陽に灼けた指が、掴まれた白い手首を際立たせて見せていた。
 それなりに歩きにくさを覚えながらも、どうにか前に四人が並んでいるだけの短い列に並ぶ。それぞれ二人組の四人だから、三組目になる。
「こんだけ人が多いと夜でも暑いな。リン、喉渇かないか?」
「ちょっと乾いたかも」
 持って来ていた500ミリリットルのスポーツドリンクを飲み干してから食べてばかりだった。浮わついた気持ちは、喉の乾きを自覚すると地に着いてしまう。
「近くに飲みもん、売ってるかな」
 口をへの字に結び、勇次が首を伸ばして周りを見渡す。すぐに「あっ」と声を上げ、子どもみたいな笑顔を向けてきた。
「向こうにラムネ売ってるぞ。やっぱ夏祭りって言えばこれだよな。リンもこれで良いか?」
「うん。良いよ。いくらで売ってる?」
 ショルダーバッグから財布を取り出そうとした手を、勇次が押し留める。
「いーって、これくらい。すぐに戻るな」
 楽しそうに笑いながら、勇次は列を抜け、規則正しい人々の波に消えた。
勇次がいなくなった途端に、辺りがうるさくなる。
 大勢の友達のグループや、幼い子どもの家族、仲の良いきょうだい、屋台主のハリのある声、落し物を知らせる実行委員のアナウンス、異性カップルの笑い声。
 耳の奥で不愉快に響くそれらの音は、近いようで、その実遠い。なのに、押し潰されてしまいそうだ。
 ほんのり悪くなった具合を、熱中症のせいにしたところで、声をかけられた。
「お待たせしました。おいくつですか?」
 気付けば列の先頭にいた。折り畳み式の机越しに声をかけて来たのは、大学生くらいの若い女だ。その後ろで父親らしい年格好の男が、綿菓子機に種を入れている。
「えっと……2個」
「はーい。600円です」
 千円札を差し出すと、女の細く華奢な指がそれを受け取った。ほんの一瞬だけれども、自分の角張った手の甲が目立ってしまう。
「少しだけ待っててくださいね」
 女はお釣りの400円を返しながら朗らかな声でそう言うと、こちらに背中を向けた。柔らかく高い声に、耳の奥がじんじんと痛む。
生地が薄いTシャツなのか、薄いお腹にくびれが見えた。ヘアゴムを付けた細い手首、小さなお尻。それらが我慢ならないくらい、どうしようもなく……不愉快だ。
「――リン」
 すぐ横で勇次の声がした。ぱっと顔を上げると、優しい目と目が合った。
「待たせたか?」
「……ううん」
 もっと早く戻って来いよ、と思いながら、ラムネのボトルを受け取る。冷たい。フタを開けていてくれて、中でビー玉がカラン、と音を立てた。手元のそれを見ていると、なんだか惨めに思えてきた。
「おふたつ、お待たせしました~」
 勇次が代わりにわたがしを受け取ってくれた。礼を言い、二人でまた並んで歩き出す。
「リンは本当、人見知りだなぁ」
 可笑しそうに勇次が笑う。
「うん」
 そう、僕は人見知りなんだよ。
「もう少しで盆踊りが始まる時間だし、なんか食べ物買って、人の少ない隅の方に行こうか」
「そうだね、ありがとう」
 優しい幼馴染を長年騙しているような罪悪感は、うるさい太鼓の音に、容易に掻き消された。あるようで無い些細なものだから。
「勇次といると落ち着くよ」
「嬉しいなあ」
 外見から性格まで、非の打ち所がないくらい、絵に描いたような男らしい勇次の隣はひどく居心地が良い。
 松下凛太郎という存在が、霞んで見られるから。

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