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書かれなかった戦い②ディール平原の戦い~ファイアーエムブレム「アカネイア大陸の海と地政学」

 こちらの記事で推測した「反アカネイア同盟軍」の進軍ルートをとったとすると、上陸地点はアカネイア南のディール要塞となる。おそらく、前回記事に記載した通り、中央政界で精力的に活用していたディール候シャロンの油断をついてディール要塞を奪取したのであろう。
 同盟軍はここを拠点に北上を開始、一方、アカネイア本土にて報告を受けたディール候は、お家騒動に揺れるレフカンディ候や混乱していた自領の統治に追われるサムスーフ候・混乱していたわけではないがやる気のないアドリア候らを振り切り、ろくな情報収集もしないまま兵を動員したと思われる。メニディ候はもともとディール候と縁があったのか、戦に突き合わされたということである。
 となると、ディール候でアカネイア軍最高司令官のオーエン伯爵とメニディ家のノア将軍を中心とした兵力を迎撃のために動かしたと思われるが、その兵力は本土の兵をほとんど動員したとして8,000程度、ほかにメニディ候やディール候の紙幣も併せて1万に届かない程度であったと思われる。
 一方、侵攻する同盟軍の主力はグルニア軍で、おそらく兵力は5,000人程度、マケドニア軍はおそらく白騎士団を中心に1,000人程度だったかと思われる。ドルーア軍はおそらく「竜人10人」程度であり、数で言えば圧倒的な少数だったと思われる。
 いずれにしても両軍合わせ15,000の兵力が結集しての戦いであり、おそらく暗黒戦争を通じて最大の戦闘であり、英雄戦争でもこれほど大きな戦闘はなかったと思われる。
 両者ほぼ同数であったものの、記録によるとアカネイア貴族の拙劣な指揮により大敗したといわれている。実際はどのような戦いだったのだろうか。
 アカネイア軍の主力は重装歩兵である。しかし、その重装歩兵の士気は極めて低かったと思われる。そもそもこのような大規模反乱がおこるということは、度重なる失政の結果とみなされていた可能性が高かったと思われるからだ。
 一方、同盟軍の主力を担ったグルニア軍の士気は極めて高かったと思われる。なぜなら、彼らはおそらくは小規模な封建領主そのものであり、手柄次第でアカネイアに土地が手に入るという大きなモチベーションがあるからである。
 また、マケドニア白騎士団の士気も極めて高かった。
 マケドニアの遠征軍の主力は「海の民と白騎士団」である。日頃国内で活躍することの多い山の民に比べ、海の民の肩身は狭かったと思われ、この戦争で手柄を上げるために大いに手柄を上げたいと思っていた可能性は高い。しかも、グルニア軍と違い、ミネルバを中心にマリオネスやハーマインなどの優れた将軍に支えられて統制も取れていた。おまけに目の前には今までマケドニアをさんざん抑圧してきたディール候、これで燃えないわけがなかった。
 ディール平原に集結した両軍の戦いは、まずはグルニア木馬騎士団の砲撃によって始まった。対して威力はなかったものの、飛び交う矢や石が飛んでくる中で重装歩兵の隊列が崩れだした。
 一方、グルニア騎士団のうちで勇猛かつ狡猾な貴族たちは、騎兵を率いてアカネイア軍を包囲するべく回り込んだ。また、マケドニア兵は上空から攻撃すべく準備を始め、カミュ将軍率いる黒騎士団はアカネイア軍重装歩兵団の隊列のくずれを見出すと、一斉に突撃を始めた。上と左右からの挟撃に対して重装歩兵隊は無力であり、あっという間に半包囲され、敗走した。
 アカネイア軍の敗因は、それまでの失政による軍の士気の低さ・軍の機動力の乏しさ・情報収集をしない・平原を戦場に選ぶなどのミスにあり、戦う前から敗北が決まってしまっていたと思われる。
 このように、ディール平原で大敗したアカネイア軍は、アカネイアパレスにこもることになる。しかし、パレスにこもったアカネイア軍は粘りに粘り、それがさらなる混乱をもたらすことになるのである。

参加兵力
同盟軍   6,000人 竜人10人程度
グルニア軍 5,000人
(カミュ・カナリス・ジューコフ・ギガッシュ等)
マケドニア軍 1,000人
(ミネルバ(三姉妹)・マリオネス・ハーマイン等)
ドルーア 竜人10人
(ショーゼンなど)

アカネイア軍    9,000人
アカネイア本軍   7,000人(ディール候オーエン)
アカネイア騎兵隊  1,000人(ディール候ミディア)
アカネイア軍弓兵隊 1,000人(メニディ候ノア・ジョルジュ)

戦闘結果
 同盟軍の大勝

損失
 同盟軍    全体で200人程度
 アカネイア軍 全体で捕虜約5,000人 戦死・負傷1,000人