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静香のこと 〈しあわせな暮らし〉


結婚するまで
料理なんて
ろくにすることもなかった。

正確に言えば
自分で食べるためだけに
簡単に作ることはあったけれど
人に食べてもらう なんて機会は ほとんどなく
自信を持って出せるレパートリーなんて
なんにもなかった。

あれよあれよというまに決まった結婚に
まわりも喜びよりも戸惑いのほうが大きかった。

家を出るまでの短い期間に
わたしが母親から教え込まれたのは
味噌汁の作り方だけだった。
御飯は炊飯器が炊いてくれるし
日本人は御飯と味噌汁さえあれば
なんとかなる と 母は言った。

そして
料理基本大百科を
せめてもと持たせてくれた。



近所の小さな神社で
身内のみの こじんまりとした式を挙げ
国内を ふらりと 1週間ほど旅行したのが
新婚旅行のようなものだった。

そして わたしは
実家引き篭もり から 専業主婦なるものになった。

夫の祖母が住んでいたという古い日本家屋が
家具もそのままに残っていて
そこに ふたりで住むことになった。

実家も近代的なマンションだった わたしには
タイムスリップしたかのような その家は
まるで異世界のように思えた。

今までの人生とは確実に違う流れに乗って
ゆらりゆらりと 新しい暮らしが始まったのだ。


朝、昼、晩と
食事をしつらえること。
そして 夫と向かい合って食べること。
それが 生活の中心だった。

3日に一度くらいの頻度で
自転車で15分ほどの小さな商店街へ出掛ける。

八百屋のおばちゃんは
わたしを「あら、奥さん」と呼ぶ。

最初に呼ばれたときは
まだ自分が人妻だということに
全然馴染んでいなかったので
ちょっとは それらしく見えるのかと
違和感を感じながらも思ったけれど
そうではないらしく
妙齢の女性を
みんな 「奥さん」と呼ぶのだと気づいた。

「あら、奥さん。
今日は いい菜の花があるょ。
お浸しもいいけど
わたしは味噌汁がおすすめ。
柔らかくなりやすいから
別で茹でて お椀に盛って
食べる直前に 汁とあわせればいいから。」

このように
だいたい料理の仕方も教えてくれるので
そのとおりに献立を設定して
季節の野菜を買った。

この八百屋さんでは
漬物も売っていて
その作り方だけは教えてくれない。
商売上がったり だからだそうだ。

わたしも
なんでも手作りします みたいな
はりきった主婦でもなかったので
ありがたく購入して
夫とふたり
ぽりぽり こりこり と食べている。
毎日毎日 食べている。

まだまだ現役 と元気な魚屋のお爺さんは
わたしを「お嬢ちゃん」と呼び
いつも 調理しやすいように
新鮮な魚を下処理までしてくれるので
とても助かっている。

肉屋のおじさんは
「よっ、ねえちゃん」と威勢良く
唐揚げをひとつ つまみ食いさせてくれたりする。
このつまみ食いが
1番美味しいんだょなぁと思うけど
たまに唐揚げやコロッケの惣菜も買う。
サクッとなる温め方や
アレンジの仕方も教えてくれる。

1番頻繁に訪れる豆腐屋の跡取り息子は
無口で必要以外のことを喋ることがなく
呼びかけられた記憶はない。
真面目な働きぶりで
若いのに えらいなぁなんて思って
わたしも 歳をとったなぁと思う。
この子から見たら
わたしは「おばさん」なんだろう。

その人たちにとって
わたしは 静香 ではなく
「奥さん 」や 「お嬢ちゃん 」や 「ねえちゃん」
あるいは「おばさん」で
夫の姓に変わった苗字も
呼ばれるのは役所や病院くらいなもので
わたしは どんどん 名前を失ってゆく。

親切な商店街の人々のおかげで
わたしは「普通の」食事をしつらえることができ
日々は 穏やかに過ぎていった。

「普通の」生活。「普通の」生きる活動。

食べて、排泄して、眠って、交わって。
人間の根本の欲望に添う行為。
その繰り返し。

セックスも まるで違う。
心理的効果で 味付けされた料理を
ふたりで 楽しみ貪り喰うような行為ではなく
ただただ日常の延長にあるもの。

お腹が空いた。おしっこ したい。眠い。
それと同等のレベルに並ぶ欲望。

毎日毎日
意識することもなく続く日常。

これは 幸せ と呼ばれるのだろう。

そのことを意識しないくらいに
わたしは 幸せなのであろう。

この穏やかな生活は
確実に わたしを癒していった。


サポートしていただけたら とっても とっても 嬉しいです。 まだ 初めたばかりですが いろいろな可能性に挑戦してゆきたいです。