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情緒の細密画

大学に入ってから、Toeをはじめとする日本のマスロック(かつインストの)バンドを聴く機会が増えた。私はToeの『You Go』をよく聴いている。


これらの曲を聴いているとき、私はいつも「ペンデュラムウェーブ」を思い出す。周期の異なる振り子を同時に繰り出すと、振り子群は不可思議な動きを繰り返すのだ。時にはバラバラに動いている"ように見え"、時には2つか3つのグループになって同周期で動いている"ように見える"。


各振り子のふるまいは全て、自然法則が統制しているから、なにか特殊な働きがあるというわけではない。それが少しずつズレたり重複したりしているだけで、各部分は各部分の単純な動きを繰り返しているに過ぎない。でも、我々のちっぽけな脳は圧倒されてしまう。カオスは自然に内在しない。あくまで私たちが見出すものだ。


正確なリズムを刻むバンドメンバーの楽器がそれぞれ規則性を持って響く。徐々にそれぞれがズレを生んでいき、休まらない巨大な音の集合体が豪雨のように耳へと襲いかかる。

この「耳」が重要である。私たちが持つ耳と脳には性能の限界があるから、幾重にも重なる音の規則性を全く処理することができない。それらは平面のまま耳に押し寄せ、私たちを飲み込んでいく。
そうして、この破壊的な力が、堪えきれない悲しみや喜びを私たちのうちに惹起する。

このような音楽が生み出す情動は、人間が生活の中で直面する情動と同質のものだ。
ペンデュラムウェーブやリズムのように、人にもいくつかの周期がある。例えば死という周期があるし、あるいは生活という周期がある。ときには無意味に感情を表出してみたり、引っ込めたりする。
全てが周期である。集合し離散し、カオスと秩序を絶え間なく行き来するこの周期の複合体を、私たちは「運命」または「偶然」と呼んだ。そう呼ぶしかなかった。

それらはある時、無数に降り注ぐ。人々の雑踏があり、錯綜する情報があり、そこかしこに誰かの人生があり、私たちは困惑する。

ある時は重なって、波のように一挙に押し寄せる。ひとつの目的に力を合わせ助け合うときがあり、あるいは親類の死が重なるときがあり、私たちは圧倒される。

この情報の巨大な流れに、私たちの脳と身体は為す術がない。このとき感動が生まれる。原始より備わるこの1セットの知覚器官の性能を超え、「感動」というカオスに直面する。

He deals the cards to find the answer
The sacred geometry of chance
The hidden law of a probable outcome
The numbers lead a dance

Sting 『Shape of My Heart』

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