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はじめまして

 子供の頃から、私は麺類があまり好きではありませんでした。理由は、土曜日のお昼が毎回スパゲッティのナポリタンだったためで、しかも玉ねぎが大きく厚目に切られており、それが生焼けであることが多く、子供心に食べ難く残念に思っていたからです。毎日三食、成人するまで、成人してからも、母親にずっとご飯を作ってもらっていたことは、本当に感謝の念しかありませんし、「母よ、貴方は偉い!」としか言えないのですが、そうした理由から幼少時よりずっと、麺類と玉ねぎだけは、特に食べなくても問題ないものとして私は認識してきたわけです。

 そして、あれは確か、私が二十歳を迎える直前の1988年頃だったと思います。私は家がそれほど裕福でもないという理由もあって、外食をする習慣のないまま成長しましたが、ある時、年上の知人(女性)に誘われ、お昼に本郷三丁目にあるパスタ屋に連れて行ってもらったことがありました。勿論、お誘いを断ることなどできない状況であり、麺類が苦手などとは言えない状況です。そのお店は、本郷界隈で働く人たちの間で美味しいと評判で、割と名が通っていたらしいのですが、初めてのパスタ屋でメニューを見ても勝手が分からない私は、知人と同じものを頼むことにしました。そして、運ばれてきたパスタを食べた瞬間、私の目から鱗が落ちたのでした。

 その時、私は目を見開いて、生まれて初めてスパゲッティを美味しいと思いました。醤油ベースで酸味が絶妙に利いていて旨い。大きなシメジにもその味がしみ込んでいて旨い。麺は太くもなく細くもなく、硬くもなく柔くもなく、丁度良い歯ごたえで旨い。ナンダコレハ? たぶん、苦手な玉ねぎだって入っていたと思うのですが、全く気にならず、実に衝撃的な味の旨さ、美味しさでした。そのパスタの名は「山の幸スパゲッティ」。そして、その店の名は「セキヤ」。

 私はその後、当時イタリア在住だった知人が帰国した際に「セキヤ」に連れて行きましたが、日本人の口に合わせていて、とても美味しいと太鼓判を押してくれました。セキヤのメニューは豊富で、他にも色々なスパゲッティがありましたが、私は「山の幸」しか食べたことがなく、スープスパゲティも食べてみたかった。でも、「セキヤ」が美味しい店だと知った後も、私は相変わらず外食をしない生活をしていたので、足繁く通うようなことにはならず、貴重な一回の訪問に他のメニューを挑戦する気持ちには、どうしてもならなかったのです。

 ある時、ふと気が向いて数年ぶりに「セキヤ」を訪れてみると、料理人が違う方になっていました。そして、私の舌がいつの間にか肥えてしまい感動が薄れたせいなのか、それとも微妙に味が異なるせいなのか、初めて食べた時の衝撃と感動は、もう蘇ってはきませんでした。一つの店が一定の味を何十年も保っていくことは、本当に大変なことなのだと思います。
その「セキヤ」は、2000年代に入ってからまもなく閉店していたことを、私はごく最近、何気なくネットで検索していて知ったのでした。

 「山の幸スパゲッティ」。
私の特別大好きなパスタ名に因んで、しかも少し捻って、ウミノサチという名前でNoteで文章を綴ってみることにしました。
自分の考えや気持ちを文字に表してみることで頭を中を整理してみよう。そして、自分は一体どのような人間なのかを文章を通して知ってみよう。そんな風に考えています。拙い文章ではありますが、何かしら自分の成長に繋がることを祈りつつ、始めることと致します。

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