ひとんちの猫とボクの物語
10月20日 1:11 夢から目が覚めた。
チコちゃんは最後に、最高のメッセージをボクに届けてくれた。
隣に住む大家さんちには、外飼いの猫ちゃんがいた。
完全な外飼いの猫で、家の中には一切入れないようで、餌をあげるのも玄関の外、寝床は恐らく物置の段ボールハウス。限りなく野良猫に近い飼い方だ。
猫好きあるあるのワシャワシャしたりモフモフしたりはもちろん、抱っこをしているところも見たことが無い。
それだけにその猫は、とても自由に生きていた。
時にはよその家の塀の上を悠々と歩いていたり、草むらで虫や鳥を追いかけたり、陽の当たる特等席で日向ぼっこをしたり、、、
その猫には、敷地なんて概念は無く、その時の気分で気持ちが良い場所へ出かけ、遊び、腹が減ったら大家さんちの玄関で「ニャーニャー」と鳴く。
そんな猫がうちの庭にも顔を見せるようになったのが2年半くらい前のこと
その猫を、うちの庭でも見かけるようになっていたけど、目が合うとすぐに逃げてしまう。
そんなつれない猫が、大家さんちの小屋の屋根の上で寛いでいるのを見つけ、ユウ(妻)が声をかけた。
「いつでもうちに遊びにおいでね」
すると次の日にユウが庭で洗濯物を干していると、その猫が会いにやってきたんだ。
尻尾をピンと立てて、ゴロゴロ言いがら。
もちろんユウはテンション上がりまくり、その猫との初めての交流を思う存分楽しんだそうだ。
しかも、最初からスリスリなよなよしてたらしい。
そんな話しを、興奮しながらユウが話してくれたけど、ペットを飼った事もなく正直そんなに猫に興味が無かったボクは・・・
「へぇ良かったねぇ」くらいの返事しかしなかったと思う。
だがしかし!
せやけどほんまに!
その次の日の出来事にはビビったー!!
部屋でたらたらとパソコン仕事をしていると、庭に面した窓から
ガシャガシャガシャッ!!!!
っと網戸を思いっきり揺する大きな音がした!
何事???と思い、窓に目を向けると
なんと!あの猫が網戸にしがみ付いていたのだ!
しかもかなり上の方まで登っていて、人生で初めて、網戸越しに猫の腹を見た。
その瞬間、ボクは悲鳴をあげた!
「うわっ!!!」
そしてユウに叫んだ!
「ネコが!ネコが!網戸に!!」
慌てふためいているボクたちをよそに、その猫は何食わぬ顔で地面に降り立ち、そそくさと立ち去った。
未だになんで、あんなことをしていたのか検討がつかない。そんな衝撃的な行動はそれきりだ。
網戸越しに猫がしがみついていたシルエットを、今でもハッキリと覚えている。
ここから
ひとんちの猫とボクたちとの奇妙な関係が始まった。
猫が大好きなユウは、思いもよらぬまさかの出来事が起きたことに喜び、そこから急速に猫との距離を縮めていく。
ペットを飼ってはいけない借家に住む我が家のことを常々嘆いていたユウにとって、最高の出会いが訪れたのだ。
初めは距離があった猫との関係も、来る日も来る日もユウは猫に声をかけ続け、アプローチを重ねると
やがて、撫でさせてくれるようになり、膝の上にのせても嫌がらなくなり
暫くすると、うちの庭で昼寝をすることが多くなった。
ここが安全な場所だと思ってくれたんだ。
これはボクが人生で初めて猫を膝の上に乗せた瞬間だ。
なんともぎこちない一人と一匹・・・
それでも、嬉しいけどひとんちの猫だ。
そこでボクたちは、1つのルールを決めた。
「餌はあげない。愛情だけで仲良くなる。」
そんな折、ユウが思いつたようにその猫に勝手に名前をつけた。
「この子、チコちゃんだと思う」
何かは知らないけど、もちろん飼い主が決めた名前があるわけで・・・
でも、ボクも妙にその名がしっくりきた。
それから、ひとんちの猫はチコちゃんになった。
(だいぶ後で知ったけど、飼い主さんが付けた名前とは一文字違いだった。ニアピンやな)
チコちゃんは、やがて家の中にも入ってくるようになり
最初は恐る恐るだったけど、あぐらの上にのってくるようになった。
ソファーの上では、お腹をおっぴろげて寝るようになった。
お腹をワシャワシャモフモフさせてくれるようになった。
そして、うちの中で朝まで寝ることが多くなった。
部屋への出入りを自由にしたとは言え、寒い日は扉を閉めているので、チコちゃんが出入りしたいときは扉の開け閉めが必要だ。
入りたい時は「ニャー」と鳴くので分かりやすいけど、部屋から出たい時は、扉の前でじっと座って開けてくれるのを待っている。
深夜1時でも早朝4時でも、チコちゃんに人間の生活サイクルなんて関係ない。
その都度ユウは、寝ぼけ眼で扉の開け閉めをしていた。
あくまでも、ひとんちの猫が勝手に家に入ってくると言うことにして
そんな生活が続くうちに、猫に興味が無かったボクも
自由に生きるチコちゃんの生き様を見るのが楽しくもなり、その愛くるしさにハマっていった。
まさか自分が、猫を本気で可愛いと思う日が来るなんてなぁ・・・
『チコちゃんて、こんな猫』
・頭でっかちでサバトラ柄。
・胸からお腹の毛が真っ白でフサフサでモフモフに最適。
・口の周りが茶色くて汚れてる感じがめちゃくちゃツボ。
・人間が決めた敷地や境界線なんて全く気にせず、自分の好きな場所で好きなように生きている。
・デレデレしてきても、次の瞬間には触るなモードになる。
・水を飲むのがヘタクソでチロチロと少しづつしか飲めない。時々手ですくって飲む。
・時折、声が出てるか出てないか小さく「ニャ」と鳴く時は、ボクに何かを言おうとしてる気がする。なんて言ってたんやろ?
・ユウの腕に抱かれている時が一番安心しているようだ。
日向ぼっこが大好きだったなぁ
そんな月日は流れ
ボクとユウにとってチコちゃんは、疲れた時は究極の癒しであり、迷った時は最高の先生であり
どんな時も自分の気分で生きるその姿は、ボクたちの道標ともなり、掛け替えのない存在となっていた。
そして10月
いつものように気まぐれでうちにやってくるチコちゃんの異変に気づく
うちに来ると最初の10分はお腹をおっぴろげてワシャワシャタイムとなるのだが、触らせてくれない。
そそくさと一人、ボクたちと距離を置いて静かな場所で寝てしまう。
心配だけどそっとしといてあげると、いつものようにうちで寝て、朝早くにいつものようにお出かけする。
数日そんな日が続いたある日、明らかに元気が無く、歩き方にも力が無いチコちゃんが隣の家の庭にいた。
それを見つけたユウが
「チコ!!」と呼ぶ。
チコちゃんがフラフラの状態で、それでもうちへ向かって歩いて来るけど、いつもならヒョイと飛び越えられる柵が越えられずにオロオロしながらこちらを見つめている。
慌ててユウが抱き抱えうちに入れ様子を見るが、どこか意識がはっきりしない、息遣いも荒い。
それが時間を追うごとに辛そうになっていく。
ユウが抱っこすると一旦落ち着くが、暫くすると徘徊するように力無くフラフラと歩き出す。
普通は避ける床にある物も気がつかないようで、踏みつけて歩いていく。目の焦点が定まっていない。
そしてまた苦しそうに横になる。
夕方まで様子を見たが、チコちゃんの様子は変わらない。
苦しそうにしているチコちゃんは、時折ユウの腕の中で呼吸が弱くなる。
ユウは何度か呟いた。
「もうダメだと思う」
そしてボクたちは決断を下す。
「息があるうちに飼い主さんのもとへ連れて行こう」
このまま面倒を見たい気持ちをグッと堪え、もう会えないかもという不安を抱えて
ボクは大家さんちに行き、チコちゃんの状況を伝えて迎えに来てもらった。
チコちゃんは飼い主さんに抱き抱えられ連れて行かれた。
これでもうお別れだ。
大家さんとの間にほとんど交流は無かったから
この先どうなるかは、ボクたちには知る術がない。
ひとんちの猫だから・・・
きっともう会えない。。。
チコちゃんと別れたあと、二人でしこたま泣いた。
そして出来るだけの事はしたんだと、自分達に言い聞かせ納得しようとした。
次の日、ボクは心にポッカリと穴が空いたまま仕事へ出かけていた。
すると、塞ぎ込んでるだろうと思っていたユウからLINEが入る。
奇跡!!
その言葉とともに
なんとそこには、チコちゃんがうちでいつものように寛いでいる写真が
え?????
どう言うこと???
意味はわからないが、元気になったようで、、、
いつものように遊びに来たようだ。
意味はわからなくても、その現実が嬉しすぎて目の前の天使に安堵し、奇跡に感謝した。
あの時の苦しそうなチコちゃんはなんだったか分からないけど、とにかく良かった。
(後から大家さんに、あの後すぐに病院へ連れて行き、栄養剤を打ってもらったことと薬をもらったことを聞いた。)
それからは、今まで以上にチコちゃんが愛おしくなった。
なんだかチコちゃんがする何気ない行動の全てが嬉しかった。
毛繕いをするチコちゃん
日向ぼっこをするチコちゃん
お腹をおっぴろげて寝るチコちゃんにまた会えたんだ。
良かったねチコちゃん。
あの時のチコちゃんは何だったんだろう?と言う思いを深く考えないことにして
また、ここから二人と一匹の奇妙な物語が続くと思っていた。
それが・・・
5日後のことだ。
またチコちゃんの様子がおかしくなった。
早朝雨が降る中、うちにきたそうだけど柵を越えられなくてオロオロしているチコちゃんにユウが気づいた。慌ててチコちゃんを抱き抱えビチョビチョに濡れた体を拭き毛布にくるみ、体温が下がっているチコちゃんの体を温めた。
それで一旦落ち着いたように見えたけど、しばらく時間が経つと前と同じような症状が現れ始めた。
そして時間を追うごとに、またどんどん様子がおかしくなっていく。
意識なく歩き出し、障害物にも構わず突っ込む。呼吸が苦しそうで、弱くなったり。
ユウが抱き抱えると、安心した表情でしばらく眠る。
その繰り返し
いろいろな思いが葛藤する。
今回は、このままずっと看病したい。
けど、飼い主さんも心配するだろうし・・・
そんな思いを抱えたまま看病を続け夜になった。
そして、チコちゃんが元気になるように、あげないと決めていた餌をあげよう。そして朝まではここで面倒を見ることを二人で決断した。
ユウは急いでドラッグストアに餌を買いに行き、その餌を横たわっているチコちゃんの前に持っていく。
意識がハッキリしないのか目の焦点が合わないのか、餌の位置はよく見えていないようだったけど、必死にがっついてきた。
食欲はある大丈夫!
これで少しは元気になるかと思ったけど、時間を追うごとに、さらに呼吸は乱れ苦しそう。体に力が全く入っていない、目の焦点も合わないままだ。
一晩中、ユウはチコちゃんを看病し、出来る限り抱っこしていた。
何度も呼吸が弱くなり、その後大きな呼吸をして止まりそうになる。
その度にユウは、ここで看取る覚悟をしていたようだ。
本当にもうダメだ。ボクも何度もそう思った。
それでもチコちゃんは頑張っていた。
翌朝6時、ユウと話し決心する。
「大家さんちに連れて行こう。」
ここまでチコちゃんも頑張ってるから、飼い主のもとへ帰りたいんだ。
そしてまた、お医者さんに連れて行って貰えば元気になるかも知れない。
大家さんちが起きているのを確認して、ユウがチコちゃんを抱き抱え連れていった。
お医者さんに連れて行った時に分かるように、症状を詳しく伝え、チコちゃんを飼い主に託した。
二度目の別れだ。
それでも、また元気になって戻ってくると
奇跡を信じて。
でも、数日たってもチコちゃんはやって来なかった。
どうやらチコちゃんは車庫の中に置いたケージに入れられているようで、ボクたちから様子を見ることが出来ない。
時々車庫から聞こえる物音に、チコちゃんが大好きな外へなんとか出ようとしてるんじゃ無いかと考えたり、大家さんの必死で呼びかけるような声が聞こえると、もうダメなのかと、想像を膨らませて苦しんだ。
悪い想像を二人で一生懸命打ち消して、良い方向に向いていると信じようとした。
そしたら数日後、大家さんが病状を伝えに来てくれた。
血液検査をしたら猫エイズだったこと、もう施しようが無いこと、
数日前から食事がとれなくなったことを聞いた。
「もう長くは無いと思う。」大家さんはそう言った。
希望が無くなり、絶望に変わった瞬間
そこから、猛烈な悲しみがやってきた。
泣きすぎて頭が痛かった。
悲しすぎて胸が苦しかった。
ひとんちの猫なのに、ずっと愛情を注いでいたのはユウなのに
なんで自分がここまで悲しくて苦しいのか分からなかった。
これまでの人生で感じた事が無いほどの辛い別れ
なんでなんで・・・こんなに
悲しみの中でチコちゃんを思い出しながら気づいた。
ボクはいつもどこかで、
飼う事を禁じられている猫を、うちに入れてしまっていると言う罪悪感があった。
ひとんちの猫と度を超えて仲良くし過ぎている。と飼い主の顔色を伺ってヒヤヒヤしていたんだ。
その罪悪感と人の顔色を見ながら、チコちゃんと接していたことへの後悔だ。
もっと思いっきりチコちゃんと遊びたかった。
もっと素直にチコちゃんに愛情を思う存分伝えたかった。
悔いが残っているから、こんなにも苦しいんだ。
苦しい。
なんでその瞬間を、目の前のことを、今を、大切にしなかったんやと
悔やんで悔やんで
それをしてこなかったチコちゃんにも、それで制限をかけていたユウにも申し訳なかった。
ごめんなさい。
その夜は、泣きながら寝た。
そして
夢の中で、ボクは大家さんちにいた。
そこで、ボロボロのぬいぐるみのような姿で、床にペッチャンコになっているチコちゃんを見つけた。
背中は破れて穴が空いていた。目も半分潰れている。
でも、よく見るとまだ辛うじて息をしていた。
ボクはなんのためらいもなくチコちゃんを抱き抱え、その場にいたユウに伝える。
「連れて帰ろう。」
畦道をチコちゃんを大切に大切に抱き抱え、二人で歩く。
その途中チコちゃんの力が無くなり、足がダラリとぶら下がった。
チコちゃんは、ボクの腕の中で死んだ。
その瞬間
チコちゃんのお尻が破けて、ウンチがブチまかれた。
ボクはもちろん、ユウもウンチまみれだ。
そんなチコちゃんをボクたちは、なぜかニコニコと笑いながら袋に詰めて持ち帰ろうとする。
そこで、可笑しいくらいに、パチっと目が覚めた。
時計を見ると
1:11
どうしてもこの夢を、すぐに伝えたくてユウを起こし、今起きた夢の中の出来事を話した。
ユウはその話しを聞いてすぐに気づいたみたいやったけど、ボクは話しながら気づいた。
最後にウンチをぶちまけたチコちゃん。
そうこれは、ボクが今年のはじめに決意して手帳に書いている言葉だ!
自分の気持ちを何よりも大切に、おもろいと思ったことは、周りの目なんて気にせず
ウンチだってぶちまける!
いつまで経ってもウンチをぶち巻ききれないボクに
最後の最後にチコちゃんがお手本を見せてくれて、背中を押してくれたんやと思う。
時刻は 1:11
ここからが始まりの時間だよって
そして
話しながらチコちゃんが天国へと旅立ったんだと感じた。
ボクたちには、実際にチコちゃんが今どういう状態かは分からないけど、「これがお別れの知らせだね」と二人で話した。
翌日の朝
ピンポンとチャイムが鳴る。
そこで全てを予感した。
大家さんが報告に来てくれた。
「昨日の夕方、死んじゃいました。」
覚悟もしてたし、お別れもしたはずだったけど、どうしようも無い胸の痛み。
最後会わせてもらえないかとお願いしたらOKしてくれた。
ユウに「行く?」と尋ねたけど。「行かない」って
混乱もしているようだけど、ボク以上にこの状況を想像してたと思うので無理に誘うのはやめた。
ボクは一人、チコちゃんのもとへ走った。
チコちゃんは車庫に置かれた段ボールの中で、カチコチになって横たわっていた。
1週間ぶりにチコちゃんを何度も撫でた。
もう動かないチコちゃんに感謝を伝えた。
動かないし、鳴かないけど、そこにいるのはチコちゃんだ。
もう会えないと思っていたチコちゃんに、最後きちんとお別れができた。
そして
大家さんは「可愛がってくれてありがとう」って何度も言ってくれた。
けど、勝手にチコちゃんと呼んでいたことも、家の中にまで入れていたことも、毎晩うちで寝ていたことも、ボクとユウの支えになっていたことも、大家さんは全く知らないはずだ。
大家さんとは普段から交流がある訳でも無いし、ましてや飼い主からしたらボクたちの行為は理解が出来ない事だろうに
それなのに、、、
わざわざチコちゃんの容体や最後を伝えに来てくれた大家さんにも感謝を伝えた。
「最後に会わせてくれて有難うございます。」
そして、ボクたちにとってのチコちゃんがどう言う存在だったのかも伝えた。
きっとチコちゃんが、ボクたちの気持ちを飼い主である大家さんに伝えてくれてたんだ。
それは、心の中のどこかにずっとあった飼い主である大家さんへの後ろめたさが消えた瞬間だった。
そんなボクのわだかまりも、最後にチコちゃんが綺麗に解消してくれたんだ。
すごいなチコちゃん。
チコちゃん、大好きでした。
ボクが初めて心を開いた生き物です。
ボクに初めて心を開いてくれた生き物です。
お互い自由で気ままで、気を使わない唯一の存在でした。
チコちゃん、ありがとう。
ボクの心を開いてくれて、ボクに心を開いてくれて。
これは、ボクから見た勝手な話しかも知れないけど
自由に生活する事を尊重してくれた飼い主さんのもとで気ままに生き、ユウから目一杯の愛情を受け人の温もりも知ったチコちゃんは、幸せな生涯だったんじゃ無いかと思う。
そして
ひとんちの猫っていう概念はボクだけが持っていて、ユウにもチコちゃんにも無かったと思う。
自分の居場所は自分で決めて、やりたいことをやって、気が向いたら人に甘えて。
それでもみんなから愛される。
そう言う事やねチコちゃん。
そうか
これは「ひとんちの猫とボクの物語」では無くて、「チコちゃんとボクの物語」なんや。
見ててやチコちゃん、ウンチぶちまけるからね。
ありがと〜