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豊かさを感じるはなし。

豊かさとは何か考える時間は嫌いではありません。何が自分にとっての豊かさなのかは生きていく上でとても大切で、そこがはっきりしているとどう行動したら良いかが見えてくる気がします。
豊かさは手に入れるもののように見えるけど、実はすでに手元にあったりするもので、それに気づけるのかもまた豊かさな気がします。
豊かさを手に入れるというのは豊かさに気づく作業なのかもしれません。

僕は環境にとても恵まれていて、生まれた瞬間から全て揃っていたような感じがします。天和です。それに気がつくのにたくさんの時間が必要だったけど、死ぬまでに気づけたことはとても幸せだと思います。

最近足りているとは何なのかをよく考えます。
足りていることと諦めることは近い位置関係にあるようで、自分には無理だなと感じたら自分には必要がないことだと無意識の領域で変換しているのかなと思う時があります。
最近若い人たちで恋人とか恋愛とかいらないって言う人がいるけど、あれは要らないんじゃなくて、できない。できないから自分でいらないって判断しているように言っている気がして、それと似た感じがします。
でもこれだとできないと思ったことは一生できなくなるし人間的成長が無くなってしまうようにも感じて少し恐ろしいです。
足りているとわかった上で何かを得るために少し無理をするのが1番生きやすいのかな。
僕の性格だとやりたくなったら自分で納得するまでやりきってしまうので、そこまで落ちる気はしませんが、たまには少し無理をするのも大切なのかなと思いました。

自分は足りていると知った上でさらに取りにいくのと、自分は足りていないからものを取りにいくのでは苦しさが全く違うと思うし、それこそ豊かさが全然違うと思う。
前者は余剰で後者は必要だから。

芸術性とかエンタメ性ってぼーっとしてる時に生まれたり発展したりすることが多いように感じます。少なくとも僕はぼーっと何も考えてないときにふと思いついたりするからある程度余裕は必要なんだと思う。逆に余裕がありすぎても堕落して何も思いつかなくなるから少しのストレスも必要。

のんびりと過ごして、周りにあるものを目一杯感じて少しのストレスをスパイスに。好きなように筆をとる。これが僕の豊かさかな。

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