【エモクロア】SS 四塚煌 1
―私はいつか獣になるのだろう、と思った。
*
「よいか、煌。我が四塚八相流とは―」
物心ついた頃には既に刀を握っていた。
だから、思い起こす最初の記憶は夕暮れの道場。
古い木の香りが嫌いではなかった。
正座は足が痛いと思ったが、ひんやりとした床は痛みに心地良い。
眼前に座る祖父はもう八十も越えている。
というのに才気煥発、溢れんばかりの生命に満ちている。
私はいつも、祖父の語る四塚の話を黙って聞いていた。
「我ら元は武家なれば、戦場にて敵を討つが習い。
故、我が流派では多数の敵を相手取り、無駄なく斬り伏せる。
これを第一とする、まさに主君がための武家の剣よ」
違うな、と思った。
祖父はなるほど人生を剣術に捧げてきたのだろう。
技術も確かなもので、一廉の人物と言える。
(でも、私はそうは思わない)
初めて刀を握った時は、"重い"と思った。
祖父から技を習う時、最初は"面白い"と思った。
でも、一年もしない内に理解した。してしまった。
(これは、爺ちゃんが思ってるようなものじゃない)
一人で多数を相手にする戦場の剣。
確かにそうだろう、対多数を想定されているのは間違いない。
でも、それは戦場で戦うためのものじゃない。
技を通して、理(ことわり)を通して私には理解できる。
これは、ただ多くの人間を。
否、人間に限らず、とにかく多くの生命を解体するためのものだ。
遠いご先祖か何か、この剣術を考えた人間の貌が、見える。
剣術にひたむきに打ち込む人間でもない。
武人でもない。
これは、人間を解体(ばら)して愉しむためのものだ。
(爺ちゃんにはわからないんだ、だから"浅い")
私が剣術を習って三年もした頃。
木刀での稽古。
無意味だと思った。
刃引きした刀での見取り。
無意味だと思った。
同じく刃引きした刀での乱取り。
実戦的だ、と自賛する祖父。
意味が、ない。
剣術を学ぶことは好きだし、厳しいのも嫌いではない。
祖父のやり方が、傍目には虐待と言われていることも知っている。
でも、私はそれを苦しいと思ったことはなかった。
"生温い"と思っていたから。
「だからこの人は強くなれなかったのだ」、とも思った。
剣術は、ただ潜った死線の数だけ強くなれる。そういうものだ。
潜れた者だけが強くなれる、その先にあるものだと。
五年も経つ頃、既に祖父は私の相手にはならなくなっていた。
老いた、と本人も周囲も思っていたが、訂正はしなかった。
単調で、殺意もなく、ただの芸だから通じない。
そう思いはしたが、全てを剣術に捧げたであろう眼前の老人に
それを言うのは少し酷な気がした。何より、私は祖父が嫌いなわけではない。
そうして、いつしか祖父との稽古はなくなった。
それからは一人で稽古をしたり、一日瞑想してみたこともある。
山に篭ったこともある。裏街を歩いたりもした。
争いを探して、命の危険を探して、死線を探して。
一つ、死線を潜れば踏み込みを迷わなくなった。
二つ、死線を潜れば切っ先も惑わなくなった。
三つ、死線を潜れば刀でなくても斬れるようになった。
死線を一つ潜る度、私は強くなれる。
都度、人間という余計な部分が消えて、獣に近づいていくような。
本能という名の、原初の感情だけを残して、他を削ぎ落とすような。
これをあといくつ重ねたら、私は理(ことわり)にに辿り着けるのだろう。
もっと。
もっと。
―もっと。
強い相手が欲しい。
*
春、祖父がなくなった。
雲ひとつない快晴で、陽気はそよ風を纏い、川から風を運んでくる。
学校からの帰り道には、桜が舞っていた。
何てこともない穏やかな日に、祖父は亡くなった。
この頃にはもう、思い出は色褪せていた。
一つ、二つと心の余計なものを削ぎ落として。
その先で。
いずれ、私は獣になるのだろう。
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