投資#52 近代社会の自由を学ぶ
書籍の情報
タイトル:自由論
著者:ジョン・スチュアート・ミル
出版社:日経BP社
発行日:2011年9月5日
書籍の要約
古い時代、支配者は国民の意思とは無関係に権力を握っており、国民と利害が対立した。そして、自由とは「支配者による圧政からの保護」を意味した。その後、国家の行政を動かす役職に国民がつく方が良いと考えられるようになると、一時的な支配者を選挙で選ぶ方法が求められるようになった。
「国民の意思」とは、現実に多数派の意思である。このため国民の一部に抑圧するよう望む場合がある。これは権力の乱用の一種であり、いまでは政治について考える時、この「多数派の専制」は、社会が警戒すべき悪の一つとされている。
社会が個人に干渉する時、それが正当であるかどうかを決めるのは、次のような原則である。
人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正当だといえるのは、自衛を目的とする場合だけである。
文明社会で個人に対して力を行使するのが正当だといえるのはただ1つ、他人に危害が及ぶのを防ぐことを目的とする場合だけである。
感想
もっと社会、特に歴史の勉強をしておいたらよかったのかなと思います。
でも、学校の授業では何かを覚えることが訓練されていただけで、「古い時代、支配者は国民の意思とは無関係に権力を握って」いたことは間接的に学んだのかもしれませんが、直接的に学んだ気がしません。
でも、これは本書の指摘通り。
言われてみなければ、あまり明確に認識できませんでした。
自由とは「支配者による圧政からの保護」を意味したのですね。
現代社会ではどうでしょうか?
このような意味はあまりないのかもしれません。
自由と責任はセット。
そのような意味程度でしょうか。
ところで、明治時代になってから?大正時代?普通選挙制度が始まったことは習いますね。
昭和に入ってからは、受験前で時間切れ、のような感じで何か学んだのかと言えば・・・
記憶にないですね。
今の社会が、民主主義と資本主義を採用しているから、それらを悪く言うようなことはあまりないように思います。
「「国民の意思」とは、現実に多数派の意思である。」
「この「多数派の専制」は、社会が警戒すべき悪の一つとされている。」
多数派が少数派を迫害する、差別的な発言をする、どれも起きていますね。
社会が個人に干渉する時、それが正当であるかどうかを決めるのは、
自衛か、
他人に危害が及ぶことを防ぐためか、
とあります。
今の社会がそのようになっているか、確認するのもいいかもしれませんね。
まとめ
自由とは「支配者による圧政からの保護」を意味した。
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