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死の人形②

父が亡くなった連絡を貰ったのは、夕暮れ、世田谷区南烏山の現場だった。

親が死ぬ時は、さすがに何か予兆が起きると思いこんでいた。靴紐が切れたり、皿が割れたり。全くそんなテレビドラマの様な事は起こらず、何げなく取った兄からの電話で知らされた。予知的なものは自分には無いんだなあ、と思い知った。

11月末にはアパートを引き払い、帰郷する段取りで進めていたが、父は11月の頭に他界。あと少し持ってくれたら孫にもっと会わせてやれたと思うけど、限界の限界だったと思う。

家族総移動で新幹線で帰り、通夜の準備。故人の生前の希望もあり、新聞の死亡欄にも載せず、親戚以外には知らせなかった。通夜は無事終わり、来てくれた方、親戚から香典返しのアドバイスなどを受けてメモし、最後は兄弟で葬儀場で泊まった。

明くる日、いよいよ葬儀。朝からいきなり親戚が人形を持ってきた。

「いやー、友引に葬式やから気になってな、でもこれで大丈夫や」

葬式当日は友引だった。

友引というのは、六曜の一つです。
六曜とは日ごとの運勢を記載したもので、中国で生まれた占いに関する考え方です。
1ヶ月を6日、5棟分で区切り、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口に分けられます。
それぞれが違う意味を持っています。
六曜は基本的に仏事と関係ありませんが、特に冠婚葬祭ではこれらを気にする方が多くいます。
友引(ともびき)
勝負ことでは共に引き分ける日とされています。
「友を引く」という漢字が当てられたため、縁起が悪いとしてお葬式では避けられることもあります。また、友引の日は休業する火葬場もあります。
ただし六曜自体は仏教に関係ありません。

友引に葬儀の時は人形を棺に入れて、出棺すると友を引かれないとの事だった。親戚が持ってきてくれたのは綺麗な日本人形で、人形ど素人から見ても、とても良い人形に思えた。どうやら博多人形らしい。葬儀の始まりにみんな人形の周りに集まり、綺麗や、綺麗や、綺麗な人形さんやと少し賑やかになった。

そしてお坊さんの読経が始まり、粛々と葬儀は進行してゆく。読経を聞きながら何か感じる。何か、、葬式なのにどうも雰囲気が明るい。昨日の通夜とは明らかに何か違う。昼間になったせいかな、、一人考えながら父の遺影写真を見てると、隣にさっきの人形さんが微笑んで居るのに気がついた。

あ、なるほど、あんたが来てくれたからか。心の中で呟いた。悲しさが強いはずの葬儀に、全く不釣り合いな上品な出立でこちらを微笑んでる人形。とても会場全体を華やかにしてくれてる。実は人形を初めて見た時から、とても惹かれた。あの頑固で男ぽい父が、こんな綺麗な人形さんと一緒に焼かれる違和感と、父と一緒に旅立ってくれてありがとうと、有難い気持ちが混じって親近感が生まれていた。

ありがとうね、とその人形さんを見てたその時、突如、頭に何やら浮かんで来た。父とその人形の一生の物語が。状況説明が下手で申し訳ないが、小説を読むと、文章からシーンを脳内で映像化してる時があるかと思います。小学生の頃、給食の時間に日本昔話の放送があり、それを聴きながら食べていると桃が川を流れていったり、竜宮城に亀といく様を頭の中で浮かべてました。文章を目で読んで、インプット取り込んで頭にイメージ、映像が生まれるのだけど、父の葬儀で感じた物は、文章無しなんだけど、頭にドンドン映像が浮かんでくる感じ。勝手に人形さんから受信してる感じでした。

あれ?おかしな話になってきましたね。念の為に書いておくと、親の葬式にLSDや幻覚剤を食べる程血迷ってはおりません。お酒も飲んでおりません。少し寝不足だったくらい。ここからしばし、おかしな話にお付き合いください。

昭和10年、大阪の長屋で泣く赤子の側で、寄り添う優しい顔の小さい人形さん、兵隊でレイテ島行きが決まった祖母の弟さんとの最後の食事、まだ7歳の父と人形さん、終戦、学生時代、教員時代、母との出会い、土建屋時代、吹き飛んだ小指、政治家、うまくいかない家庭、入院、闘病。そしてカメラを持ち、マイナス20度の中、白鳥写真を撮り続ける父。新宿エルタワーでの個展、沢山の写真、報われた時間。いろんな時代の父の映像に、全て人形さんが側にいる。いろんな姿に変わり、ずっと父の側に居た。もの凄い鮮明な映像がグルグル回って止まらない。

まるで映画「ビックフィッシュ」の様に、父から聞いた話がドンドン映像化されて続いた。どの時代も、白黒ではなくフルカラー、ハイビジョン。

葬儀も進み、父との最後の対面。棺に順番に花を供えてゆく。花を胸あたりに置き、父の顔を見て手を合わし、人形さんにも手を合わせた。

火葬場に移りついに出棺。父が焼かれる時が来た。この頃、映像的には誰も乗っていない地下鉄に父と、人形さんが揺られていた。もうこの頃になると姿が人形さんではなく、着物女性の姿になっていた。"誰も友を連れて行かさない"友引の代償が父の死なのか、ただの偶然、古びた迷信か。何が本当で、何が嘘か。幻想的な白鳥に現実的な景色が写りこむ。

父のラストシーンに登場した人形さんも、父と共に焼かれる運命で今日が最後の日。友引、勝負なら引き分けの日。映像では、誰も乗客が居ない地下鉄に揺られながら、父も人形さんもとても穏やかな顔をしている。この先どこに向かっているか、二人とも知ってるみたいだ。

火葬場の最後の扉が閉まる。父が火の中に消えてゆく。手を合わす。映像では電車がトンネルを抜けて無数の白鳥が、雪の中からまっ青な空に飛んでゆく。

火葬場で待ってる間、缶コーヒーを飲みながらちょっと冷静になって考えた。こんな事ははじめてやな。親の葬式で、ちょっと緊張したんかな。まあ、こんなことも起きるんやな。いつかどこかで誰かに話したいけどうまく話せるかな。誰か信じてくれたらええな。人形さん、写真撮っておけば良かったな。全く恐怖感を感じなかったけど、あの人形さんはきっと死の人形さんやったんかな。何者でもいい、とにかく心から人形さんに感謝した。映像が浮かんで来てくれるから、取り乱す事無くとても穏やかに、落ち着いて父を見送れた。孤独が多かった父の最後は一人では無かった。

数時間経って、父の骨をみんなで拾った。綺麗な真っ白な骨だった。係の人がきちんと詳しく教えてくれる。

「これはほほの骨で、御座います」

「肋骨で御座います」

家族順番に、はしを受け取り自分の番が来た。

「すねの骨で御座います」

すね。自分に渡されたのは、かじり続けたすねの骨。最後の最後、こんな時まで、しっかりせえよ、言われた様に感じ、しっかり精一杯生きるわと骨を受け取り、震える手で骨壺に納めた。



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