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DRUMS INUI interview

ROCKETは2010年、東京にて結成。2016からメンバー全員が違う場所に住んでいる遠距離パンクバンドだ。その中で作り上げた1st ful album「NEW AREA PASSENGERS」ついに9/16に発売される。東京、町田からの視点、ドラマーINUIに話を聞いてみた。

♣︎前作『departure』から3年ぶりの音源ですが、今回新作『NEW AREA PASSENGERS』について聞かせてください。

INUI(以下I) こういうの久しぶり(笑)前回のインタビューはCOOLER KING McQUEENの時だから15年前かな

♣︎15年前と今では時代にもシーンにも随分、変化があったと思うのですが、そこら辺も含めて、今回のアルバムの事を聞かせて下さい。

(I)2016年にメンバーチェンジがあり、新ベーシスト・エイジの加入で沼津、町田、松阪の3ピース遠距離バンドになり活動の仕方、サウンドにも大きな変化があった時ですかね。

ROCKETはハードコアパンク、R&R、サイケ、などカッコイイと思うものは、分け隔てなく様々な音楽性を取り入れてきたけど、新体制になる時に自分の中ではKENの歌心を大事にしたフォーク的なアプローチの上に、演奏は骨太で力強いストレートなハードコアパンクをやりたいと思い、沼津のハードコアベーシストのエイジに声を掛けました。

三人体制になって初の音源「departure」は荒々しい部分はありつつ、コード進行で歌える新しい理想が見えた楽曲で作品にする事が出来たかな。今回のアルバムにはスペシャルゲストでアコースティックギター&エレキギターにYOU君、キーボードにEMIちゃんを迎え、ハードコアパンクとアコースティックギター、キーボードの融合が上手く出せたと思います。レコーディングの醍醐味になりますが、2人にアルバムに加わってもらった事で、二曲共に本当違う景色になりました。バラエティーに富んだ楽曲と増した歌心は、理想としていたROCKET節、フォーク調な曲を含めて新しい境地を目指したROCKETの10年の歴史の集大成だと思っています(ROCKETは2020年3月で結成10周年を迎えた)

俺自身はハードコアパンクのシーンでライブするようになってまだたったの10年しか経ってなく、ここ4年間は遠距離バンドとして東京に身を置いて活動してきました。シーンには子供の頃から憧れていたバンド、カッコイイバンドが多数居て、最高に刺激的ですよ。その中でも新作「NEW AREA PASSENGERS」は歌を大事にしているのでパンクロックファンに限らず、色々な人に聞いてほしいのが率直な気持ちです。

♣︎INUIさんは演奏中、心の中で歌いながらドラムを叩く感じでしょうか?

(I) そうですね。ROCKETに加入する前は歌もののメロディックパンクのバンドをやってたのもあり、歌と歌詞は自分の中でとても大事にしてます。ライブでは心の中で一緒に歌う事で、ミスの確率が減るというのもあるかな。ROCKETは曲が完成してから歌詞ができる時と、先に歌詞ができるパターンがありますが、始めの段階で、KENに歌詞を文字に起こしてもらって、歌い方、歌詞を元に曲の雰囲気と歌の乗り方に合わせてドラムを考えるようにしてます。リリースするアルバム『NEW AREA PASSENGER』でも、そこには拘りを持っています。歌詞から見えてくる映像というか曲の雰囲気を自分なりに想像して、曲と歌詞から見える激しさ、勇ましさ、静と動、優しさ、力強さなど表現したいという思いが強くありました。

エキセントリックなドラムだと感想も頂きましたが、自分が普段好んで聴いてるメタルやファンク、d-beatまで好きなドラムフレーズをぶち込ませてもらいましたが、上手く消化してまとめてくれた懐の深いKENとエイジに感謝してます。

♣︎ドラムのサプライズアクションも、今回のアルバムの聴きどころでもありますね。離れた場所に住んで、曲を作っていく過程は、楽ではないと想像するのですが、まずはどう取り組んで行くのですか?

(I) これはメンバーが離れてるのはあまり関係ない話かも知れませんが、新体制になり元々ピンボーカルのKENがギター&ボーカルにコンバートしたのでKENがギターを弾きながら歌える曲作りが前提となりました。同時に個人的には歌心のあるメロディックなハードコアがやりたい気持ちがあり、KENの弾き語りの動画を送ってもらい、エイジと俺でそれにリズムやベースラインを付けていく作業から取りかかります。

そこから実際合わせてのアンサンブルの確認や曲を詰める作業は裾野(静岡県)のスタジオにリズム隊だけで入り動画を撮り、KENに送り確認を取る。基本的にはこの作業の繰り返しで曲作りしてます。LINEは遠距離バンドのROCKETにとって曲作りの重要なツールになっていますね。

♣︎バラバラの場所で各自が仕事を分散して、スタジオや、ライブで合体するイメージが浮かびます。INUIさんのpunkとの出会いを聞かせてください。

5つ上の兄貴の影響でクールスやキャロルや横浜銀蝿、Stray Catsを知って、そこからアナーキーやラフィンノーズといった日本のパンクバンドがいるのを知りました。当時は髪が立ってれば何でもパンクだと思ってたのでBUCK-TICKが出てきた時もパンクだと思ってましたね(笑)中学の一つ上の先輩にパンクに詳しいのがいて、UKPUNK、USハードコア、日本のハードコア等、色々教えてもらったのがきっかけかな。俺はXやBUCK-TICK等のヴィジュアル系の先駆者が出始めた頃で当時はそちらに傾倒してましたね。

UK HARDCORE PUNKを知ったのは高校生の時にMAD CAPSULE MARKETS観に行ったら、SEがCRASSのgochaで、お目当てのMADのライブは素晴らしかったが、ずっと頭の中にgochaが残っていました。どうやらCRASSはUK HARDCORE PUNKのバンドのようだと知って、そこから掘り下げて聴くようになり、DISCHARGE G.B.H .CHAOS UK.を知り衝撃を受けました。

同時期にPANTERAやRed Hot Chili Peppers、グルーブメタルやミクスチャー、BAD BRAINSやNOFXなどのUSハードコア メロコアも漁ったかな。全部が今の自分を形成している好きな音楽です。枠にに囚われず、ドラムに向かうのは自分の強みだと思っています。

♣︎CRASSが呼び水とは意外でした。入り口はやはり多感な中学生くらいからですが、それから30年近く月日が流れた今現在も、バンド活動を続けている原動力はなんでしょう?

(I)2014にジャカルタパンクmarjinalが来日して一緒にツアーを回り、彼等から沢山のメッセージ、刺激、学びをもらいました。既にインドネシアツアー経験者のCHEERIO、JABARA、VIVISICKのメンバーからジャカルタでのライブのパンクスの凄まじさは聞いてて、FLIPOUTA.Aとの東南アジアツアーが実現した時はマジ嬉しかった。とにかく全てが刺激的で書ききれませんが、東南アジアツアー最終日ジャカルタのマスベルトで大トリをつとめたライブは一生忘れない。この時、またここに来てライブやりたい、色々な国でライブやりたい…いや、やる!必ずやる!と決めました。

新体制になって、エイジの初海外はライブで!という思いとタイミング良く繋がった台湾パンクのご縁もあり、ROCKET新体制初の海外ライブは、カマラーダと共に台湾となりました。

台湾でも、初めてROCKETを見たお客さんが踊っていて感動しました。南アフリカの若者達も多かったな。ライブハウスが二階で、一階がBARなんですが、このBARが、色んな国の旅人が集まってて、もの凄い多国籍でした。でも自分が出すリズムで見てる人が踊って騒ぐ、言語が通じなくも、リズムは伝わる。早くツアーで日本の行ってないライブハウス、また海外でライブがやりたい!ライブが原動力ですね。

♣︎これからの未来の事も聞いても良いですか?ROCKETが何処へ向かうのか?

(I)まさか2020年がこんな時代になるとは思ってなかったし、大好きな大切な場所が次々に仕方なく閉じなければいけない状況を見るのは本当に辛かった。この先この事態がどう終息していくのか全く分からないけど、自分自身、いくつかの大きな決断が待っている気がします。ROCKETは世の中が元通りになったら、また色んな場所に飛びたいと思ってます。コロナ禍でみんなが大変な思いをしています。偉そうな事は言えないので自分の出来る事をやるだけで、その積み重ねをするのが近い未来だと思っています。

♣︎ありがとうございました。最後に読者に一言お願いします。

(I)混沌としたこの時代でROCKETの音楽で元気になってくれたら嬉しいです。そういう想いを込めて作ったアルバムなので!


遠距離バンド存続のため、移動費、交通費に当てます。旅は続くよどこまでも