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好きなものを着ている貴方が一番素敵

ファッション好きが高じて、友人や知人に一緒に服を選んでほしい、と言われる機会が多い。親しい人たちと過ごす散策と吟味の時間そのものが何よりも楽しく、お気に入りの一着が見つかる、といった大きな収穫がなくても満足するのだが、彼女らの口をついて出るとある言葉が私の中に小さな疑問符を残していることに気づいた。

「これ、すごく好きなんだけど似合わないから.…」

楽しい時間の中に、ふと妙な空気が流れる。かける言葉が見つからず、何か気の利いた一言を返してあげようと口を開いては思い止まる。私はこの言葉の裏にある理想と現実のギャップの狭間で揺らめく心模様をよく知っているからだ。彼女たちもまた今までのショッピングという名の取捨選択の戦場で、同じ気持ちを味わってきたのだろう。

どれだけ心踊るアイテムも試着室や煌びやかな店内で鏡の前に立って、ありのままの自分と対峙し、身に付けた瞬間、愕然とする。自身の体型と剥離したサイズ感、なぜか顔色が悪く見える色味、肌に馴染まない生地の質感―。
そうした数々の関門をくぐり抜けようやく手に入れた一着を家に帰って着てみるとあれ、なんか違う.…。ここまでの段階なら、落ち込む度合いは低い。極めつけは、お気に入りの服を身に纏っているにも関わらず周囲の人からの反応が思わしくなかった瞬間であろう。おしゃれは自己満足と思いながらも、相手の反応が気になってしまうものだ。そうして「似合わない」と判定を下したアイテムの特徴を殊更に覚え、似た一着に巡り会うと再び目に留まり、手にとっては溜め息をつく。

そのような苦悩が「好きなんだけど、似合わないから」の一言に詰まっていると想像し、私は幾度となく「そんなことないよ」という言葉を飲み込んできた。当たり障りのない言葉は、憧れを捨てざるを得ない悲しみを無下にするようで心が痛む。
服は着ている人をさらに輝かせるものであり、どこかに後ろめたい不安や違和感を持っていると、それを色濃く反映して「似合わない」に繋がる、と思う。そして、私は思い出す。お気に入りの一着を手に取った時の彼女らの華やいだ横顔を。まばゆいくらいのその笑顔の煌めきさえあれば、その服は最高に輝くのに-。この思いをどうにか伝えられないだろうかと思いながら、上手く言葉にできないもどかしさばかりが募っている。次に会う時はちゃんと伝えられるだろうか。

「好きなものを着ている貴方が一番素敵」と。




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