誰かを、何かを愛すことができるか

自分は誰かを、何かを愛せているだろうか?愛するということは、受動ではなく能動で献身的な活動だと思う。誰かは恋人や家族、友達や仕事仲間だけでなく、隣に住んでいる人や立ち話をしているおばあちゃん、酒に潰れたサラリーマン、誰かや何かを愛せない人、そして自分自身。何かとは何だろう。それは自然かもしれないし、食べ物かもしれない。はたまた、物体としては存在しない仕事や繋がりかもしれない。

自分が知る、自分の理想や尊敬する人は多分与えて生きていると思う。それは物理的な物に関わらず、時間的なものかもしれない。目には見えない抽象的なものかもしれない。その人を想って行動が生まれた時、それはすでに与える行為なのかもしれない。

愛するという行為は、与えるという行為と似ているものだと思う。愛されるのでも、与えられるものでもない。自分からその目の前のものを想うことができるか。それが出来れば、きっと人は幸せになるのかもしれない、とぼんやりと考えている。

そう考えていくと、前に進むには、自分から動いていくことが大切なんだと思う。きっかけはもしかしたら与えられたものかもしれない。だけど、どんな形であれその一歩を踏み出したのは自分自身なんだ。与え続けられる人になりたいなと思う。

休日は恋人と自然を満喫して、河川敷を歩いた。まだまだ僕らはつまづいたり衝突することが多い。それでも愛することを続けていこう。一歩ずつ踏み出していくことで、僕らは少しずつより良い方向に進んでいけるかもしれないから。

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