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人新世の「資本論」を読んで

結論から言うと、「出来れば読みたくなかった」と「読んでよかった」という複雑な心境である。

前者の「出来れば読みたくなかった」は、「読まずにいればこの世界の現状とこのまま資本主義が破壊を進めていく先の結末」を論理的に知ってしまったからである。なんとなく知ったのではなく、論理的に、納得してしまったのである。

それを踏まえ後者の意味は、「そんな状況下であることをこの本を通して理解することが出来てよかった」ということである。人は、自分が無知であることに関してはどうしても自発的に気づくことは難しいと思う。そんな中、山口周さんがおすすめしていた本に巡り会えたことに感謝をしたい。

この本と通して感じたのは、「人(自分)は、本当はどういう風に生きていきたいのか」ということ。現在の社会の多くが資本主義をベースとして成り立っていることを知ってしまい、その資本主義がもたらす未来に納得してしまった自分は、どんな風に生きていきたいのか。いや、生きていかないといけないのか。生きていかないといけないというのは、義務に見えるが、ここでは強い意志を表現するために用いた。

資本主義が利潤追求をしていく限り、不可視された海外での環境破壊はどんどん進んでいき、最終的には責任を転嫁してきた先進国にもツケが回ってくる。もう僕らは知ってしまったのである。無限の成長を求めることの不可能性と、資本主義の矛盾に。

本来、人間は肉体的にも精神的にも豊かに生きていくことが生きる上での幸福とされているが、多くの人はマーケティングという手法で本来絶対的に必要でないものを欲するようになってしまい、貨幣を用いて「本来必要でないもの」までをも手に入れ続けようとする。また、住宅ローンや奨学金なども、本来幸福になるためのはずのものを手に入れようとし借金をすることで、将来長くに渡ってそのツケを分割させることで、毎月口座残高から引かれる金額に頭を悩ます。僕らは一体何をしているんだろう。

これからの地球を持続可能なものにするために、筆者は脱成長コミュニズムを説いていた。これなのかもしれない。ずっとこの社会に対して漠然とした不安を抱えていた僕らに必要な概念・あり方は。もう成長という本質的な意味を失った目的から離れ、互いに信頼しあい共助しあっていこうということ。実際にそのような活動が世界で勃興し始めているのだ。

きっと、僕らが真の意味で豊かに生きる唯一の可能性がここに残っている。資本主義という大きなゲーム台の上で、そのゲーム台の上にいることもルールも成り立ちも知らず生きてきた僕らが、これ以上無意味な肉体と精神の浪費をしなくてもいい場所がある。

最後に著者は非暴力的な革命を起こす人の最初の割合は3.5%と記した。僕はこの息苦しい世界が健やかな世界になるためならば、3.5%の人間になりたい。そのために、小さいことでもまずは飛び出してやってみることが、求める世界につながると信じている。

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