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君にごめんと、ありがとうと、さよならを

4年ほど付き合っているパートナーと、昨日お別れした。関係性を終わらした。LINEで終わってしまっただからだろうか、とても悲しい、すごく寂しいという感情は正直そこまで湧かなかった。4年も付き合っていたのに、その年月とはまるで反比例するほどに悲しい感情が湧かなかった。

きっと、もっと早く終わらせるべきだったんだと思う。本当はお互いにこれ以上はお互いがお互いを愛せないということに気づいていたのに、分かっていたのに、この関係が変わってしまうことの方が怖くて、その恐怖に打ちひしがれるくらいなら、そのままの方がいいと思っていたのかもしれない。

変えるべきだと思っていたのに、何かしら言い訳をして変わらない選択をしたのは僕の方だったと思う。だからか、ところどころ許せない部分に目をつけて、勝手に失望して、相手が悪いと思えるくらいまで我慢していたのではないか。

そう考えると、なんてしょうもないことをしていたんだろうか。この関係はとっくに終わっていて、表面上だけ取り繕っていただけなのだろうか。ただ、どちらにしてもずっと引きづらせてしまったことをただただ、申し訳なく思う。

関係が終わったときに、泣くほど悲しくなれなかったのが悲しい。悲しくなるということは、きっと何かを失ってしまうから起きる現象だと思う。その現象が起きなかったということは、すでに失っていたんだろうか。失ったことに気づいていたのに、失っていないふりをしていたんだろうか。

最近聴いている歌の歌詞に「2人は1+1になってしまった」という部分があるが、まさしく今の僕たちだ。元々は1+1だったものが、僕らは途中から2+1、2+2,1+2となって、最後は1+1となってしまったんだろう。

僕は、愛すことが出来たんだろうか。あなたの素敵な部分だけでなく、見にくい人間の部分まで、つむじから足の爪先まで全部、愛すことが出来たんだろうか。むしろ、そのすべてを拒絶していなかっただろうか。近づけば近づくほど、互いを傷つけていなかっただろうか。どうして大切だったはずの人の前では、素直に自分を出せず、想いを伝えることが出来ず、ただただ傷つけてしまうのだろうか。

最後に、こんな僕と一緒にいてくれてありがとう。僕を僕として見てくれてありがとう。僕を受け入れてくれてありがとう。もう、ドライブで僕の知らない君の好きな洋楽を聴く必要もないし、K-popを覚える必要もない。知らない人がいる飲み会に行く必要もないし、おしゃれな写真を取り終わるまで待つ必要もない。無理に重い荷物を持って上げる必要も無ければ、話すことに気を遣う必要もない。機嫌を気にする必要も無ければ、君のことを考える必要も、もうない。

だから君も、僕のうるさくて音程がずれている歌を聴く必要はないし、脳天気な行動に腹を立てる必要もない。歩くスピードを合わせる必要も無ければ、狭いベットを2人で寝る心配もない。ご飯は家で作りたいという僕を気にすることなく、好きなところに1人で食べに行っていい。毎回外食で重いものを食べさせられる心配も、もうない。

僕も君も、互いに大変だったこと・面倒をかけたこと・気を遣わせたこと、相手を思いやったこと、全部これからはいらないよ。だから、自分勝手に好きなように出来て、イライラすることもないんだよ。

今まで窮屈だった2人は、1人になって楽になる。ただ、きっと互いに、都度あの窮屈さをずっと忘れられないんだろう。その記憶と実感を背負いながら、新しい人と出会って、お互いがお互いを思い出しながら、そういえば、あいつはあん時こうだったな、今考えるとアホだなって、懐かしみながらちょっとだけ、悲しく寂しくなるんだろうね。そんな風に、今度こそは誰かをしっかりと愛していけるといいね。

たまには自炊をして、お酒は飲みすぎずに、程々にね。

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