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20181212 14:40

エネルギーを攪拌していたい。
ぐるぐると、ただかき混ぜていたいのだ。
この身をもって、この身が持つ限りは。
ただそれだけが、わたしの動力になっていると思う。
一色に染まるのは嫌だ。
一色で塗り固められるのも嫌だ。
世界が虹色のプールになったらいいと思う。

- - -
例えば、なぜ海外に出かけるのかと問われて
それはわたし自身がいちばん不思議だったりすることなのだけれど
(なぜなら地球にいるから、といえばそれまでなのだけど、できればおうちでぬくぬくと憩っていたい、という気持ちの方が最近は大きい)
最終的な判断と選択は私がしているので
その意図を、自分の奥の方から探ろうと思うと、
そんなことが浮き上がってくる。

そしてけっきょくどこにいても、なにをしていても
そのときそのとき自分のできることをやる
ただそれだけ。

心身をととのえ、
エネルギーをととのえ、
日々にいどむ。
生きるとは、未だわたしにとって挑戦だ。

たったひとりで家にいるときにも
世界から到来するあらゆるエネルギーに、
吞み込まれそうになることがある。
(というかつねにほぼ呑み込まれている笑)
自分の意識を保つ=自分がなにを感じなにを思いなにをしたいのか、を意識しつづけること
ただそれだけのことがむつかしいことがある。

一方で、わたし自身の空っぽの器に、
それらを取り込み、自らの輪郭を限りなく曖昧に溶かしていくことに
そもそも興味があるのかもしれない、と思うこともある。

「わたし」という感覚の、臨界点。
その臨界点を、気づくとあまりも当たり前に、隣のコンビニに行くみたいに超えていたりするので
はたと我に還った「わたし」は、自分の輪郭を、欠片を、あたふたと拾い集める。
日々は、そんなことの連続だ。

浸透してくるものは、
美しいものも、醜いものも、嬉しいものも、嬉しくないものも
種々様々。

この文章でさえ、なにかどこかよそからの要請で書いている気もしている。
でもたぶん、意識しようとしまいと、世界はそんなことで成り立っている。
ある人が考えていることが、隣の人の口から発話される。
たぶんそれは日常の、風景。

(冬至に向かっていくこの独特の暗さと静けさに身を浸すのも、意外と嫌いではない。)

そんなこんなで、ほうっておくと勝手に世界に溶け出していく「わたし」を寄せあつめ、輪郭をつくり器におさめるところから、わたしは今日も一日をはじめます。

少しまえに大切な友人が教えてくれた「ダルちゃん」。傑作。
http://hanatsubaki.shiseidogroup.jp/comic2/2228/

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