サビ研2103:乙女座12-17度 爆問学問
たまたま空港の書店で手にした山極寿一さん(京都大学・霊長類学)と太田光さん(爆笑問題)による対談本。
『「言葉」が暴走する時代の処世術』(集英社、2019)より
「例えば、ゴリラには行動と行動の継ぎ目に不思議な間がある。このときの気持ちというのは、周りに自分を溶け込ませながら、状況を静かに見極める白紙に近い状態なんだよね。あるいは、ゴリラに顔を近づけてのぞき込まれると、心の中に入り込まれて動かされるような気がするんです。」(山極)
乙女座16度《オランウータン》のテーマが、ここで端的に語られているような気がする。野生と対面したときに起こる内なる衝動。見ているのはオランウータンなのか、人間なのか?という主客の逆転が起き、これまであくまで「対象」でしかなかったものを自分の内側に発見してゆく度数。
この対談のきっかけとなった、京都大学で行われた「爆問学問」の公開収録の動画がこちら。
【爆問学問】爆笑問題のニッポンの教養 爆笑問題×京大 独創力!
こちら↓は太田さん登場シーン(カメラを観客に向けながら登場)。
太田さんは金星が乙女座12度《新郎が新婦のベールを剥ぎ取る》。「カメラ」という装置をつかって「見る/見られる」という主客の逆転をねらい、自分こそが「ベール剥ぎ取る」側なのだ、ということをここで主張しているようにも見える。
こうして先手を取った太田さんは、普段「ベールを剥ぎ取る」側の教授陣をまんまと「ベールを剥ぎ取られる」側へと逆転させることに成功し、そこからこの対話がはじまる。
ここからの流れはまさに乙女座12度〜17度あたりまでを象徴しているようで、とてもおもしろい。「独創性」は大学で育まれうるものなのか?異端児は排除されるのでは?という問いをきっかけとして、太田さんが教授陣のベールを剥ぎ取ろうとくいかかり(12度)、途中なんとかその挑発に乗っかるまいと教授陣も京大生も過去の偉人やその業績を持ち出しながら対抗しようと四苦八苦するものの(13~15度)→しまいにはオランウータンに心の中を覗き込まれて取りつくりようがなくなり(16度)、最終的に火山の爆発(17度)に至る。
乙女12度《新郎が新婦のベールを剥ぎ取る》(太田光・火星)
↓
乙女13度《パワフルな政治家が政治的な内紛(ヒステリー)状態を克服する》(総長が場をいったん収める)
↓
乙女14度《貴族的な家系図》(太田光・冥王星)
↓
乙女15度《勇敢な祖先から受け継いだ家宝である、見事なレースのハンカチ》(ほころびをなんとか取り繕おうとする教授陣、京大生)
↓
乙女16度《オランウータン》(それでも挑発的な太田さん)
↓
乙女17度《火山の爆発》(教授陣の一人が太田さんに本気で怒ってしまう)
そんな太田さんのサビアンシンボルはこちら。金星だけでなく、天王星・冥王星も乙女座。
太田光
ちなみに、山極寿一は太陽が「魚座1(~2)度」。
おふたりのチャートを眺めながら、こんな図式?が見えてきた。
試論:魚座1/30度×乙女座1/30度のたすき掛け
乙女1《男の頭》
×
魚30《巨大な石の顔》
魚1《公共の市場で非常に多彩な作物を取引している》
×
乙女30《聞き取られなかった間違い電話》
乙女座1度で熱心に輪郭をスケッチしていた男の頭そのものに、魚座30度では「なって」いる。混沌からあえて距離を取り自分の内側に集中していた乙女座30度と対照的に、魚座1度では自ら混沌へと飛び込んでゆく。
山極さんの猿楽ならぬ「ゴリラ楽」(写真はこちらよりスクショしました)
ゴリラを研究するためゴリラを完全に対象化するのではなく、自らがゴリラの群れのなかに入ってゆき、ゴリラそのものに「なって」その生態を理解しようとする山極さん。
対象に自ら混ざり合ってゆく/そのものに「なる」魚座
↑↓
あくまで対象は対象のままでありつづける乙女座
という図式が、対向星座の1度と30度を比較することでより顕著に感じられる気がする。
しかしある意味の”ピーク”ともいえる乙女座の中盤度数で、乙女座の世界では絶対に守られるべき「自/他」の境界に一度ほころびが生じ、17度《火山の爆発》でその絶対的であったはずの「自我=顕在意識」が破壊され、その後18度の《ウィジャ盤》からはじまる潜在意識へと自我意識が拡大してゆく・・・という、(対向にあるはずの魚座領域とも難なく接続できるような)オクターブ上の領域へと乙女座(のみならずどの星座も)が飛翔してゆける可能性示してくれているところこそがやはりサビアンシンボルの醍醐味だなとおもう。
とりとめなく思いつくまま、の発表になってしまったが、乙女座中盤度数で起きていること、そして乙女座と対抗の魚座に関する考察のひとつとしてなにかしらの直感源となれば幸い。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?