自分を生きるってなんなのだろう

やっと前に進み始めたのに、「不安」ばかり目について歩みが止まってしまう。
ここのところ、そんな感じで眠りも浅くて悪夢が続いているし、体調も崩しがちだった。

周りからはこんなことを言われている。
「もう、誰かのために生きないで、自分のために生きなよ。」「これからは前を向くだけだね。」「幸せになってほしいよ。」
私は十分幸せで、自分のために、生きてきたつもりでいたのだけれど、私のやってきたことを説明すると(説明することがあると)、自分のためにではなくて、人のために時間を費やしてきたと思われてしまう。癪だけど、客観的に見たらそうなんだろうなって最近は思うようになった。

自分を生きるってなんなのだろう。

自問するたびに、私が今抱えている「不安」はきっと自分を生きる足枷になっているんだろうなと感じる。
その「不安」のせいで、悩みは尽きなくなるし、笑うことや、大事なモノや大事な人や大事な時間を手放している。
その「不安」は、いつ起こるかわからないし、想像している大きさのものになるのかもわからないし、わからないことだらけだ。
その「不安」を軽減する策を取ったって、軽減するかどうか、軽減したとしてもゼロにはならないのだから、考えるだけ無駄だとわかっているのに、どうしても「不安」と隣り合わせになってしまって苦しくなる。

せっかく私は私を生きたくて、人生の一歩を歩み出したのに、まだまだ過去に囚われている。
そんな自分が情けなくて、腹が立って、考え方一つで解決しそうなのに抜け出せなくて。

ノートに自分の気持ちを書き並べた。

“もしも明日命が尽きるなら、迷いなく、私は私が大事にしたい時間を選ぶだろう。そこに「不安」が入り込む余地なんてない。”

そう、もう、答えは出ていて。
自分がどうしたいか、つまり、自分を生きるってなんなんだろうという答えはもう知っていて、

ただただ、勇気がないだけ。

今を生きていないだけ。

過去と未来じゃなくて
いま、なんだよって、
いま、笑っていようよって、
もう一人の私が話しかけてくる。

ああ、不安だ。とても不安だ。
でも、今を、今日を、大事にし続けられていたら、この気持ちも少しは変わっていくかな。